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イツカ キミハ イッタep.45

アスパラガスとゲンジボタル。この取り合わせが自分の中でピタッとはまってしまった。7月下旬、山形県は最上郡最上町に滞在したときのこと。ホテルフロントで「ゲンジボタル鑑賞バスツアー」なる案内に目が留まった。

蛍は、以前都内某ホテルの「ホタルのゆうべ」で観た以来だ。あのときは閉園後の庭園内そこかしこに蛍スポットが設けられており、ホテル側が専門家の指導のもと、必死に産卵から飛翔まで蛍が生息できる環境を作り上げた、ある種人工的な機会提供だった。

それがここ山形の地では、静かな山里から更に車で30分近く走った山奥の畑で生息している、自然発生的な蛍を目にすることが出来ると言う。

チェックインをした際には、心はすでに固まり、20:00にホテルを出発するというホタルツアーに間に合わせるよう、夕食時間を決めた。
仕事で来ていたので、滞在中の夜の過ごし方は制限されているものでもないが、一応同行者にホタルを観に行く旨を伝えると、一様に「20時出発で蛍の里がある集落までの往復1時間は長い」とか「飼われているものでもない自然発生的な蛍は観られる確率が低い」などとネガティブな意見が大半で誰も共にする者はいなかった。

かくして定刻にロビーへ降りると、誰もいない。平日のため、子どもの宿泊人数が少なかったためか、それともまだ食事中の人が多いためか、不安げに辺りを見回すと、フロント奥より宿の従業員である若い男性が出てきた。

「それでは出発しますので、マイクロバスへどうぞ!」

元気よく声を掛けられたものの、宿の浴衣姿で、玄関にあった下履きを引っかけただけの大人1名を案内するのは、さぞ気がひけるだろうと、こちらは静々と車内へ乗り込んだ。

「なんだか、悪いですね。大人一人で」

気詰まりからそんなことを口走ると、いやいやと頭を振りながら
「こちらこそ、必ず観られるわけではないので、もし観ることができなかったらすみません」
と、感じの良い返事が返ってきた。
そして、

「でも、今日は晴れたので久々に観られるかもしれませんね」

と期待を持たせる一言を付け足すことも忘れなかった。 
車は次第に街路灯の無い山道へ入っていく。車のライトだけがくねくねと曲がる細いクレイの道を照らしている。静かな車内でポツポツと会話を続けるうちに、宿到着前に立ち寄った道の駅ならぬ川の駅で見かけたアスパラガスの話になった。

「最上の特産品なんですよ、アスパラガスは。この時期、旬を迎えます。みずみずしくて茎まで甘くて美味しいですよ。明日、朝のビュッフェでも出しますので、ぜひ召し上がってください」

後部座席の窓から外を眺める。すると、満天の星が瞬いていた。話を聞きながら、窓に額を付けるようにして星空を見上げた。

「アスパラガスを収穫するとき、穂先についた朝露がキラキラと輝いてみえるんです。そう、まるでこの夜空の星ように…」

話を上の空で聞いていたわけではない。
ただ、あまりにも手に届きそうな錯覚を抱くほどの近さで瞬く星空に見入ってしまっていた。

「なんか、もうゲンジボタルが観れなくてもいいような気がしてきました」
「えっ?」
「ホタルをこの星空に観た気分になったので…」

畑の真ん中にゆっくり停車した車内でボソッと呟く。
ヘッドライトの照度が徐々に落とされ、闇に包まれた静寂の中で暫く待った。
すると、畑から沢の方に向かって、ポーッとした光が流れるように飛んでいった。

「今の、黄色いふわふわと飛んできたの、ホタルですよね?」
「いや、見えなかったですが、多分そうです。きっと…」 

車がそろそろと進んで、駐車場でUターンするまでの間、微かな光を頼りに地上から湧き上がるようにして飛んでくる黄色の光線を目で追い続けた。
大群を目の当たりにしたときの感動とは違う、心細くなるほどのか弱い1つの生命が放つ明滅。それは先行き不透明な時代を生き抜く人間の姿と重なり、じんわりとした温かさが込み上げた。

翌朝ホテルのビュッフェ方式の朝食会場を一通り眺めていると、大きなたらいに氷が敷き詰められた中に、グリーンアスパラガスが丸ごと1本そのままの姿で、20〜30本放射状に美しく盛られていた。

自身の真っ白な皿に4本ほど並べ、その上に温泉卵をのせて黄身を崩すと、さながら「アスパラのポーチドエッグ」のように見える。黄身をよく冷えたグリーンアスパラガスの穂先につけ口に運ぶとき、前夜に観たゲンジボタルの放つ黄色い光を思い出した。

朝露が輝くアスパラガスと幻想的なゲンジボタル。それらは最上町の地上を照らす星空が繋げてくれたもの。アスパラガスの爽やかな甘さを噛み締めながら、美しい自然の営みが織り成す光に思いを馳せた。

そして今は、豪雨による最上川上流域の氾濫被害が一日も早くおさまることを祈っている。

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