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手術放棄と幻の虫


仕事で怪我をした右肩がズレたまま数年を過ごしている。故に長らく筋トレも行っていない。理想の肉体には一歩たりとも近づいていない。

生活に致命的な支障は出ていないが、日常の8割で軽い痛みや違和感が伴うし、異音がする。
治すには切開手術と少々長いリハビリ期間が必要となる。
自分が何年も手術を先延ばしにし続けているのは『手術をすればゴミムシの調査が止まってしまうから』であり、ざっくりと括ってしまえば『ゴミムシに命を懸けている』『ゴミムシに人生を懸けている』という事にもなる。



アオヘリアオゴミムシ


アオヘリアオゴミムシという幻の昆虫がいるらしい。
そんな噂をTwitterで聞いたのは4.5年前かもしれない。

気になって調べてみると青緑色の美しい昆虫だった。
しかし自分の住む県では半世紀以上確認されていないらしい。
絶滅危惧種の一覧が掲載されているレッドデータブックにはそう記されていた。
それ以降、オサムシやゴミムシといった肉食甲虫に好みが傾倒していったが、「専門家が監修したレッドデータブックの記述が全てであり、自分如きが荒地となった当県でその虫を見つけられるわけがない。」と思い込んでいた。
農薬と乾田化、さらには水路改修によって様々な生物が住めなくなった故郷の湿地を20年以上見続け、その虫は当県には存在しないと思い込んでいた。



あの時の衝撃と寒気は忘れもしない。

2022/05/30、職場の先輩と共に訪れた蔦屋書店ひたちなか店にて『月刊むし6月号』を見つけた。
月刊むしが棚に置かれているような書店は珍しく、ひたちなか市と当時より後にオープンしたコーチャンフォーつくば店の2箇所でしか見た事がない。
当時の自分は月刊むしを読んだ事が一度もなく、軽い気持ちで立ち読みをした。

すると、信じ難い記事が掲載されていた。

『2019〜2021年に関東地方で採集されたアオヘリアオゴミムシの記録』。
著者は中村涼・源河正明・谷島昴・法師人響・西田恒介・平井文彦(敬称略)

著者にフォロワーの名前が並ぶその記事には、半世紀以上アオヘリアオゴミムシの生息が確認されていなかったとされる当県での新規発見記録や過去の記録がいくつも掲載されている。

それを見るなり、人生において感じた事が無いほどの悪寒に襲われた。
風邪やインフルエンザとは異なる、脳とはらわたに熱を伴う寒気に震え続ける。

「当県にアオヘリアオゴミムシが今も生息している。」「しかも複数の地域に。」
そう考えると鳥肌が止まらなくなり、本を棚に戻して椅子に座り込んでしまった。
それ以上読み進める事ができなかった。

その様子を見た先輩は、「トモロウくんが取り乱しているの初めて見た」と語る。

車に戻って見た自分の顔は青ざめていたし、鳥肌も収まっていなかった。
あまりの衝撃にその日は本を買う事ができず、後に再び訪れて購入をする事になった。
本はなるべく書店で買いたい。その本を置いてくれる数少ない書店なら尚更に。

「アオヘリアオゴミムシが当県にいる。」
何日もその事実が、それだけが頭の中を巡っていた。


その事を知ってからはまだ1年と少ししか経過していないが、随分とこの虫に人生を狂わされたように思える。
しかし、どう考えても充実していた。この人生で1番の密度の月日だったと胸を張って言える。

2023/08/22に故郷の市、それも子供の頃に訪れた場所でこの虫を見つけた時は、人生の幕を閉じてもいいとさえ思えた。
しかしまだ残さねばならない記録がいくつもある。

その虫を介して出会った師やフォロワー、全てのフィールドに今一度感謝を申し上げたい気持ちで満たされているのは、故郷のアオヘリアオと出会ってからまだ一睡もしていないからだろう。
恐らくは後で読み返して恥ずかしくなるはずだ。



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