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50代ランナーの伸びしろ

「あと2km」の標識が見えた。沿道の声援が大きくなる。もう手を振る力は残っておらず、前を向いたまま口角を広げて笑顔をつくった。

ほんの少し前までは早く終わりたいと思っていた。右足の腿裏の筋肉は今にもピキピキと痙攣を始めそうだ。

でも声援は気持ちを高ぶらせてくれる。ゴールは近い。万一足がつっても何とか足を動かせるはずだ。ラストスパートに向けて再び身体を前に傾けた。


ネガティブスプリット

2024年3月10日。びわ湖マラソンには6,600人を越えるランナーが参加している。

スタートは琵琶湖の南に位置する大津京。皇子山陸上競技場を出発して東へ進み、近江大橋を渡ってから北上。びわ湖大橋の手前で折り返して、烏丸半島にゴールする。琵琶湖とその向こうに広がる比良の山々の眺めが美しいコースだ。

びわ湖マラソン2024コースマップ

40kmを過ぎてここまでの平均ペースは4分47秒/km。目標にしていた3時間20分切りは難しいが自己ベストは更新できそうだ。振り返ってみるとここまで想定外の展開だった。

スタート直後、ランナーの渋滞につかまった。小雪の舞うスタート会場で寒さに震えながらの準備に手間取り、ブロックの最後尾に並んだことが原因だ。最初の5kmは当初の予定より2分以上遅くなった。ようやく渋滞から抜けるとコースは琵琶湖を北上するルートに入り、北からの風を受けた。ここから33kmの折り返しまでは向かい風だ。

遅れた時間を取り戻そうと、何度かペースを4分39秒/kmまで上げてみた。でも、自分の実力ではこのペースで最後まで持たない。

折り返したら追い風に変わる。そこから加速して可能な限り取り返そう。

びわ湖の美しい景色を眺めながら(大会公式HPより)

マラソンのペース戦略には大きく3つのパターンがある。1つはポジティブスプリット。後半のペースダウンを織り込んで、最初からスピードを上げて貯金をつくる。2つ目はネガティブスプリット。前半はペースを抑え、後半に加速する。そして3つ目はイーブンペース。最初から最後まで一定のペースを維持する。

最もエネルギー効率がよいのはイーブンペースだ。今回もその予定だったが状況は変わった。頭の中でネガティブスプリットのイメージに切り替えた。

パーソナルトレーニング

きちんとしたトレーニングの必要性を感じたのは1年前。去年のびわ湖マラソンでは自己ベストを1分短縮して3時間28分でゴールしたものの、限界も感じた。

8年前に初めてフルマラソンに参加して以来、見ようみまねで走ってきた。毎月200〜300kmの走行距離を踏みながら、ネットの記事やYou Tube で紹介されているインターバル、ペース走、坂ダッシュや体幹トレーニングなどを取り込んで、少しづつ記録を伸ばしている。

でもすでに年齢は50歳を過ぎた。体力は低下の一途。それにあらがって自分のチカラを伸ばそうとすると、より自分の身体に合った合理的な鍛え方が必要だ。エネルギー効率の良い走り方をすればまだ自分には伸びしろがあるのではないか。

膝や足裏、腰などを怪我する度に診てもらっている整骨院の先生に8回コースのパーソナルトレーニングをお願いした。昨年8月のことだ。月に1~2回のペースで通い、長距離を効率的に走り抜くためのトレーニング方法を教えてもらった。学んだことは大きく2つ。ランニングフォームの改善と、それを維持する筋力の鍛え方だ。

何の肩書もない市民ランナーが50歳を過ぎて自己ベストの更新を目指す意味は何だろうか。達成感や自己成長、いくつかの言葉で説明できそうだがどこか後付けのようにも思える。キプチョゲ選手や大迫選手のような美しいランニングフォームへのあこがれはある。まだ気づいていない自身の身体への関心もある。仕事や家庭でもないマラソンというサードプレイスで、自分と向き合い対話する楽しみもある。でも詰まるところ、ただ衝動的にどこまでも走り続けたい。

マラソンのタイムはストライド(歩幅)×ピッチ(1分あたりの歩数)で決まる。1年前のびわ湖マラソンではストライドは113cm、ピッチは181だった。

先生に言われたことはストライドを120cmに伸ばしつつ、ピッチを維持すること。120cm×181回/分で42kmを走ると、3時間20分は余裕を持って走り切ることができる。だがストライドを伸ばすにあたっては単に一歩の足を遠くに着地するだけではなく、身体を前傾させることで着地点を自分の重心の真下に置くことが重要だ。そしてその姿勢を維持し続けるためには、下腹部の腸腰筋を鍛える必要がある。

KPIはストライドとピッチ。次にそれらを維持するための腸腰筋、大臀筋(お尻)、ハムストリングス(太もも後ろ側)の強さだ。

腸腰筋の強化にあたってはこれまで何となく取り組んでいたプランクと呼ばれる体幹トレーニングでは不十分ということを知った。下腹部を捻りながら身体を回転させたり前進したりする腹筋トレーニングも取り入れた。

お尻やももの後ろ側の筋力強化は、例えば10リットルの水を入れたウォーターバッグを頭上に掲げてランジやスクワットを行う。

暑さも過ぎて少し涼しくなった10月以降は、インターバルの種類を増やした。これまでは1kmラン×5セットだけだったが、ヤッソ800も取り入れた。これは800mラン×10セット。フルマラソンの目標を3時間20分切りと置いて、1本800mを3分20秒未満で走る。慣れるにしたがって少しづつタイムを短くした。

伸びしろ

残り1kmの標識を過ぎた。頭の中でカウントダウンが始まる。900m、800m、700m・・・残り400mで最後の坂が現れた。ペースを落とさず駆けあがるとあと200m。下り坂を右に曲がったらゴールだ。

声援が一層大きくなった。ゴールが見える。もう一度ギアを入れ直す。FINISHのゲートを駆け抜ける。

時計を止めた。

3時間22分。

フィニッシュゲート

膝をついて目をつぶると、こみあげてくるものがあった。目標には届かなかったが去年から6分の更新。自分にはまだ伸びしろが残っていた。それが嬉しい。

マラソンという競技は50歳を過ぎても自分の身体に向き合って効果的にトレーニングを積むことで自己ベストを更新することができる。

今回のレースではストライドは116cm、ピッチは181だった。ストライドは3cm伸ばすことができた。最初の5kmは渋滞していたから、その区間を除くと118cmくらいだ。自分なりのKPIを追いかけたら、ある程度結果を見出せた。

いずれ限界は来るだろう。でもそれに向かって取り組むプロセスは人生のさまざまなことに応用できそうだ。今の時代、50歳は中間点でしかない。多くの人に学びを得ながら自分の伸びしろを見つけていきたい。

びわ湖マラソンのゴール地点から。冠雪した比良の山々が美しい

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