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散文集:記憶達「ギルトトリップ」

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記憶:ギルトトリップ(2020) 

Black Lives Matterというのが熱を帯びています。黒人差別の歴史と現在も残る偏見、警察の暴力、慢性的な経済上の鬱憤、コロナウィルスによる解決策の見えない不安感とダメージなどが蓄積され、アメリカでプロテストと暴動が起きています。黒人だけでなく、多くの白人の友達がそれに参加し、SNSでもそれに関するもの以外は投稿しない方がいい雰囲気です。そこに少し温度差を感じます。みんなが何かを一斉にやり始めることに違和感を感じると共に、自分がそこまで差別されたり、経済的に苦しんだり、警察にやられた経験がないからか、またさらに人種的に黒人を差別した歴史がないからかもしれません。もしくは、社会全体が一つの方向へ動き出すということに、大日本帝国時代の歴史を学んだときの経験から、警戒感があるのかもしれません。
 差別には反対です。もちろん。友達から送られて来た動画で、「このようなことは10年後にも起きる。そして暴動は答えではない」という旨のことを言っている人がいました。とても力強い一言だと思いました。差別がない社会を作る。とても人ごとに聞こえてしまいガチです。幸運なことです、自分にとっては。しかし同時に、自分がいつ標的になるか分からない。自分の友達や国や家族が、いつ加害者になるか分からない。そういう可能性がある以上、やはりそういう社会を作る、解決した前例を作る、共に生きていくということは、理想論だけでなく、自分にも利益のあることとして、捉えるということも出来ると感じました。
 民主制で、言論の自由が保障されているからこそ、このようなことが起きた時に、言葉で解決する。同時に、君主制だったら解決も早いかもしれないし、悪化も早いかもしれない。今、自分が生きている社会は民主主義で、時間はかかるけれども、そこそこに機能していて自分は幸福であるので、君主制のリスクと比べたら、やはり今の社会制度の方がいいと思います。例えそれがこのような暴動を生み出す社会であってもです。じゃあ、どうやって生きていくのか?一緒にどうやって生きていくのか?どうやって敵ではなく友達を増やすのか?答えの出ない給料日です。

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