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「封印」 第十八章 警察



 11歳の時、大規模な突入が、バハイ南区で行われた。近所の住人が大勢逮捕された。隣のアパートから、従姉妹達が引き摺り出される様子を、今も覚えている。
 それを止めようとした父を、大柄な警官は押し倒した。
 後頭部から、父は地面に倒れた。
 頭蓋骨が陥没し、父は寝たきりになった。そのショックで、妊娠していた母は流産した。母と13歳の自分を残して、父は別の容疑で逮捕された。母は薬物に手を出し、自分が高校を出る前に自殺した。
 責任を問われた警官は一人もいなかった。
 警察が、自分達を守ってくれた事など、一度もなかった。
 テレビで出てくるどんな悪役よりもヤバい奴らは、社会で崇拝され、輝かしいユニフォームに身を包んだ、警官達。あんな奴ら、警察なんて、みんな死ねばいい、心の底から、そう思っていた。
 10年後、バハイの街で、妙な感染症のニュースが増えて、警官達が忙しくなった時、とても嬉しかった。
 反乱が起きていると聞いて、それを支持するのは当然だった。
 足から血を流し、動けない警官の手から銃を取ることに、何の抵抗も感じなかった。むしろ、運命が急に好転し過ぎている事に、恐怖を覚えた。
 感染者達を実際に目の前にした時、今回も、本当に、警察なんて、無力だと、改めて思った。警察が警察自身を守れない状況で、自分が救われる事など、絶対になかった。
 運命を終える覚悟を決めた。
 銃を隠し持ち、警察署に誘導されながら、中に入ったら、殺されてもいいから警官をたくさん殺そうと思った。
 警官の一人が、門の真上から、大通りに銃弾を撃ち込み続けていた。
「おい」
 警官が振り返る。その眉間に、銃弾を入れた。
 あっけなく、警官は地面に落ちた。守り手を失い、門は軋んだ。
 次の警官を探そうと、その場から動く間も無く、門が崩れた。
 食い殺される傍ら、感染者の牙を前に、泣き叫ぶ子供達を見て、自分は、大変残念な事をしたと、今更ながらに思った。

 歪んだ門から、感染者が顔を捻り出した。
 エテューは引き金を引いた。門を守っていた警官と兵士達が門から一目散に逃げた。銃弾が門に集中した。
 エテューの背後の、警察署屋上の狙撃手達が叫んだ。
「崩れるぞ!」
 見上げると、兵士達が西を指し、銃弾を撃ち続けていた。
 振り返る。
 西の塀が傾いた。既に感染者の腕と顔が塀の向こうから覗いていた。そこまで認識した直後、塀を守っていた兵士が、襟首を掴まれ引きずり上げられた。兵士は死に物狂いで引き金を引いた。
 弾丸がエテューの額を掠めた。隣の警官の首が吹き飛んだ。
「助けてくれ!」
 兵士は塀の向こうに消えた。
 エテューは死んだ警官のアサルトライフルと拳銃と弾倉に飛びついた。
 ゆっくりと、塀が崩れた。それを狙撃手と、エテューだけが見ているように思えた。
 市民と、警官達の間に立つのは、土煙だけしかなかった。
 その土煙に、アサルトライフルの弾丸を、エテューは全て撃ち込んだ。他の警官達がそれに続く。再装填し、エテューはその塀に背を向けた。悲鳴と、恐怖の喘ぎ声が、その場に広がった。
 もうここはダメだと、皆が確信していた。
「中に入れ!」
 大音声で、誰かが叫んだ。ショットガンを持った特殊部隊の人間だった。彼と部隊は、署の入り口に展開し、正確に感染者の頭を狙って撃った。
 その真横に、エテューは走り込んだ。
「机を窓につけろ!」
 エテューは受付とオフィスの机に手をかけた。入り口から入ってくる警官達がそれに続き、窓という窓にバリケードを築いていく。
「裏口だ!」「椅子を詰め込め!」「入り口はどうする!?」「車つけろ!」
 軍のジープが入り口の正面にいくつも並べられた。
「上から撃て!」
 それを乗り越えようとする感染者を、上階の警官隊が撃ち抜いていく。その一方で、なるべく大勢の市民と警官を限界まで入れる。同時に、ジープが押され、徐々に彼らの退路も狭まっていく。
 エテューは銃を手に入り口に戻った。
 署が揺れた。北側から、波が来ていると、エテューは直感した。南からの波から逃れるため、人々は北に逃げ、結果北で感染し、こちらに戻ってきている、意味不明な状況。
 エテューは南に走った。部隊のトラックが一台、動き始めた。その横に停まる車のボンネットを踏み台に、エテューはトラックの真上に転がり込んだ。
 車が前進した。
 人々を押しつぶし、南に進み始めた。

 ライリー達は船底に入った。
「船内北側、クリア完了」
 シエラからの無線が返る。
「南側完了」
「船底で集合しよう」
「了解です」
 照明が落ちた。
 ライリーの背後で、何かが裂けた。倒れる音。流れ出る音。喘ぐ音。
 照明が戻った。
 公安が二人。ライリーの額に銃を突きつけていた。遠く、船外で銃声が聞こえた。
 公安の一人、東威系の男が、血まみれの短刀をしまった。
「投降しろ…」
 しかし、もう一つ、別の声が船に木霊した。
「そこまでだ、公安」

 街の中心で、車が停まった。燃料切れ。部隊と警官達が車から飛び出た。エテューもその後に続いた。警官達は北に向かっていた。
 空港かもしれない。
 エテューは北西に走った。
 割とすぐに、人通りが極端に減った。見覚えのある住宅街に入った。
 エテューの息は切れていた。それでも走り続けた。一歩進む度に、全身の装備の重みが体に染み込んだ。
 乗り捨てられた車の影から一人、感染者が飛び出て来た。一発、頭を撃ち抜き、周囲を見渡す。誰もいない。感染者は女だった。若い北海系の金髪の女で、使えそうな物は何も持っていなかった。大通りの先には路地があり、その路地を抜ければ、家まであと5ブロックだけだった。
 路地を曲がる前に一度立ち止まり、背後を振り返り、銃を握り直す。感染者の咆哮と反乱軍の銃声が遠くに響き、その距離はエテューが立ち止まる度に近くなっていた。
 息を静かに鋭く短く吐き、エテューは視線を前へ戻した。
 路地を曲がる。
「動くな」
 突入部隊隊員が一人、アサルトライフルを構えていた。
 顔は血で染まっていた。息は切れていなかった。噛まれた様子はなかった。
 エテューは銃を下ろし、背後を振り返った。
「隠れよう」
 通りを越え、狭い路地に、隊員は入った。正解だと思った。敵の雪崩が入りにくい。
 エテューは拳銃を再装填し、残った二つの弾倉の残弾を一つにまとめた。
「エテューです」
「サバルだ。装備は?」
「この拳銃だけです」
 フル装備の隊員は、片膝をつき、再装填を終え、後ろ腰からホルスターごと小さなリボルバーを渡した。
「ありがとうございます」
 隊員は頷き、携帯を取った。血で濡れ、画面は割れていた。
「東はどっちか分かるか?」
 エテューは路地の出口を指した、
「…なるほど」
「自分も同行します。少なくとも第三地区までは」
「行こう。もうすぐだ」
 南から、激しい銃声が聞こえた。

「公安が入ってきたぞ!」
 シエラの無線が鳴った。シエラはライフルを手に、階段を飛び降りた。
「船底だ!」
 銃声が無線をかき消した。
 船底を一望できる管理室、そこにシエラが転がり込んだ時、公安と、別のグループが、ライリー達を囲んでいるのが見えた。
 シエラは無線を取った。
「ダムナグ社も来てる」
 ダムナグの部隊は公安よりも数が多く、装備もコンディションも全て新しく見えた。
「公安、ご苦労だった。あとは任せろ」
 先頭の大きな体の兵士が、イウェンの銃を下ろさせた。その横で、もう一人、痩せた兵士が銃をアンサングに向けた。
「ライフル、捨てろ。拳銃はホルスターごと抜いてそこに置け」
 指される机。そこで、金髪の兵士が拳銃を抜いて、ライリーに向けた。
「あんたらが入手した資料と人質、全て渡せ。そうすれば公平な裁判を約束する」
 ライリーが首を振った。その時一瞬シエラを見て、首を振っていた。
「まだだ」
 ライリーは笑った。
「まだ足りないんでね」
 金髪の兵士は銃でライリーの額を殴った。
「さっさと答えろ」
「殺すなよ」
 イウェンの声に、金髪の動きが止まった。痩せ型の兵士が、拳銃を抜き、イウェンに向けた。
「何か言いたいのか?」
「殺害は我々の任務だ。元暗殺課は下がっていろ」
「もう一度言え」
 イウェンの表情は動かなかった。
「命令は命令だ」
「めでてえやつだ」
 銃口に指がかかった。
「あーあ」
 アンサングは口から漏れ出た失笑を隠さなかった。
 イウェンに銃を向ける__そのことを彼の脳内で正当化した瞬間に、兵士の運命は大きく変わっていた。
 イウェンの上半身が沈んだ。

 イウェンが動いた時、アンサングは、視界の端に、シエラを見つけた。
 シエラは、他の数人の反乱軍と同様、二階の通路から船底に忍び込み、ライリーを人質に取るダムナグ社の人間を見下ろしていた。
 そしてそのダムナグ社の傭兵の全身は、イウェンが動いた時、瞬く間に、切り裂かれた。
 シエラの目が見開かれた。その顔には微かな笑みがあった。
 銃、銃を持つ手、首、そして周囲の人間。倒れる男達。
 両手を上げ、男達を抑えるライリー。
 イウェンの手首に仕込まれたナイフが、元公安の傭兵の首に当てられた。
「動くな」
 誰も答えなかった。痩せた男のうめき声以外、何も聞こえなかった。異常な静けさだった。静かすぎたかもしれなかった。
 船が揺れた。扉が軋んだ。
 鋼鉄の、重い巨大な門。その場の銃口は、イウェンと、巨大な貨物搬送用の扉の間で行き来し始めた。
 扉の奥で、叫び声と、少し遅れて銃声が響いた。皆の銃口は扉に向いていた。
 アンサングは立ち上がった。
 シエラが船底に飛び降りてきた。ライリーを背に、懐に手が伸びる。
「下がってください」
 シエラの懐から、大きなリボルバーが持ち上げられた。その銃口がイウェンを通り過ぎ、さらに大きく軋んだ扉を前に止まる。その横に下がりながら、イウェンは短剣をベルトに差し、床で死にゆく男の銃を拾い上げた。
 ライリーが微笑むのが見えた。
 アンサングも、ゆっくりと、机の拳銃をホルスターから抜き、鋼の机に身を隠した。
 咆哮と、大勢の足音が聞こえた。
 一際大きく、銃声と叫び声が聞こえた。
 静かになった。
 全ての銃口が扉に向けられていた。
 扉が開いた。崩れた。倒れた。
 黒い流れが、一気に視界に飛び込んで来た。叫び声も聞こえた。それ以上に、銃声が鼓膜を圧迫した。
「逃げろ!!!」
 イウェンが叫んだ。その指示は正しかった。
黒い波は人でできていた。正気を失い、傷つき、血を流す者達の群れだった。無数の銃弾がその黒い波を貫いた。しかし、彼らを止めることはなかった。
 頭を撃ち抜かれ、倒れた人間がいた。その顔は最後まで笑っていた。波が発するのは怒りの叫びではなく、笑い声だった。
 アンサングは背を向けた。
 襟首を掴まれた。
 窒息と共に喉が砕けるかと思った。
 後転し、膝を突き出す。感染者の顎に膝が突っ込まれ、銃弾がこめかみを砕いた。立ちあがろうと、身を起こす。感染者が二人、太った男女が、数歩先に迫っていた。
 銃声が二つ。
 イウェン。
 アンサングとイウェン、公安達は甲板まで駆け上がった。
 ライリー達反乱軍は、既に脱出用の船で、水平線に進んでいた。
 イウェンは扉を閉め、銃をしまった。
「北空港から追うしかない」
 アンサングは死んだ反乱軍の女のライフルと弾倉を掴み上げた。
「長距離走訓練ですかこれは…」
「嫌か?」
「あれ好きなのお前だけだよ」

#創作大賞2024  #ホラー小説部門

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