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月山弾き語り(新井満)

 新井満氏の訃報に接して思い出したことがある。
 新井氏は、その日ギターを持って、有名な文学賞を受賞した森敦氏のもとを訪れたらしい。ラジオの何かの番組で、私はその逸話を聞いていた。私がまだ多感な高校生の時代、昭和50年頃のことだと記憶している。受験勉強の最中で、自分の現在の不安定な境遇や将来の先の見えない姿などを思っていた。
 新井氏は森氏の受賞作に感動したらしい。その題名「月山」を自作の楽曲に冠したようだ。作中の気に入った文章を抜き出し、それを曲調に載せた。森氏の自宅の玄関先だったか、弾き語りで作家に聞かせたらしい。
 文学と音楽の妙なる出会いがそこにあったのか。
「未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らん」
 郷愁を誘う、緩やかな曲調で、生の底を覗くような孔子の言葉が、若い私の胸を打った。歌詞も曲も重厚なもので、私は数日聞き入った。
 新井氏はその後、森氏と同じ文学賞を得たらしい。
 森氏は講演会で、その姿を一度拝見した。新井氏はついぞお見かけしたことはなかった。


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