見出し画像

「もらいたい」<「あげたい」

3月をもって
今働いている学校を離れて
新たな学校へ行くことになりました。

それに伴い、引越しもすることに。

離れるのは名残惜しいけど
仕事だから行くしかない!



先日、
今住んでいる場所で
2年ほどお世話になった整体の
最後の施術を受けに行きました。


体も心もたくさんメンテナンスしてもらい、
整体に行けば体も心も軽くなって
毎回ウキウキしながら帰っていました。

いろんなためになる話、
目から鱗な面白い話、
生き方・働き方の指針となるような話…など
たくさんしてくださる先生です。


👇整体の先生とのエピソードを綴ったnote


お世話になった先生へ
何かプレゼントを!と思いつつも、
もしかしたら来週も行きたくなるかも!
とか
そういうのは受け取ってもらえないかも…
とか
あれこれ考えているうちに
当日を迎えてしまい
結局何も持たず身一つで整体へ。


今回もまた
いろいろな話を聴いてもらいつつ、
体の歪みはもちろん
考えの歪みも整えてもらえて
「やっぱり最高やー」なんて思っていたら


「今日最後なんで。
 いろんな話を聴かせてもらって
 すごく楽しかったです。
 新しい場所でもがんばって。」


そう言って
わたしの好きなケーキ屋さんの
焼き菓子をくださったのです。




お世話になったわたしが
あげるのが普通なのに、
先生の方からくださったことに
すごく驚くと同時にとても嬉しくなりました。


この人は
「もらいたい」人ではなく
「あげたい」人なのだな、と思いました。

わたしもそうありたいなと思いました。


それまでのわたしは
今いる学校を離れていく身として、
一緒に過ごした生徒や先生たちから
何か感謝されることを期待していました。


でも
整体の先生の
「もらう」より「あげたい」心の姿勢に
すごく胸を打たれてからは、

「今までたくさん支えてもらったし
 感謝の気持ちも溢れてもなお湧き出るほどあるし
 大好きな人たちに何かしてあげたい」

と思うようになりました。


同じ部活の生徒には
一人一人へのメッセージを色紙に書いて 
渡すことにしました。
(その名も「1人寄せ書き」 笑)

お世話になった先生たちにも
何か一言メッセージを添えて
プチギフトをプレゼントすることにしました。


これがなんとも楽しくてワクワクするのです!!


「感謝されたい、もらいたい」という姿勢だったら
この楽しさはなかっただろうなと思います。

「〜されたい」「何かもらいたい」は
受け身の姿勢だから、
もらえるかなぁと不安になったり
何もなかったら凹んだり
どうしてくれないんだ!と腹が立ったり…
感謝とは程遠い気持ちが
たくさん湧いてきたと思います。


「あげたい」気持ちは
主体的だから
感謝の気持ちだけでいっぱいになるし
誰かに邪魔をされることもないし
最悪何もなかったとしても
自分が「あげられた・伝えられたこと」に
満足できると思うのです。


最後の最後まで
ステキな考え方を身をもって教えてくださった先生には感謝しかありません。


また何かの形で
想いを伝えられたらいいなぁ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?