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1日いちアート 20(にじゅう) ~言葉がない世界~

バレエって何?と聞かれた時に私は
「言葉を使わずに踊りで物語を表現して進めていくもの」と答えます。

もっともっと話すと永遠に
細かくバレエとはの定義については話せるのだけれど
物語を伝える他のものとバレエを比べたときに
演劇やミュージカルなどと決定的に違うのが
「言葉を使わないこと」なのです。

言葉を使わないこと、で何が起きるかというと、
受け取り手によって伝わることが大きく変化するということ、
と言いたかったんだけれど

よく考えると
言葉がある時でも受け取り手によって伝わることは大きく異なって
言葉がないんだからそれはもう
それ以上に大きく異なるのでしょう、
って思ったりもするのだけれど
逆に言葉がないからこそ
受け取り手がみな近しい何かを受け取ったりすることもあるので一概には言い切れないなあと
これを書きながら感じたりしている。

言葉がない目的はなんだったんだろうか。



バレエという分野は大きく分けると
クラシックバレエ(古典バレエ)とコンテンポラリーバレエ(現代バレエ)のふたつに分けられることができて
ここも細かく話していくとネオクラシック、モダン、etc もっとたくさんの分野に分けることができる上に、その境目は結構曖昧だったりするんだけれど。
ここも話すと長くなるのでまた次の機会に。

コンテンポラリーバレエ界で
私が最近めちゃめちゃ好きな振付家の1人に
Juliano Nunes 
という人がいて、
その人の生み出す動き、
ずーっと見ていられるのです。

人間の身体って美しいなあ、と。

今回のこのfilm、
彼の振り付けだから、と思って見ていたら
振り付けだけじゃなく、
撮影のディレクションも、
撮影も、彼がしているじゃないか。。。
なんと。。。

最近思うのだけれど
何か一つを極めた人たちって
その極めたことを応用して
どんどん他のこともできるようになるの、
写真とか映像とか絵画だったり音楽を作ったり。

それとも他のことも極めてできるようになるから
その一つに他のことの感性も混じり合って、
特別際立ってその一つの世界で有名になるのかな。

どちらにしろ極めた人たちの感性は
その一つのこと以外にも敏感になるんだな。

音楽との一体感が
むしろ身体が音楽なのかな、
というダンサーの聴いて奏でる力、みたいなのも
すごく引き込まれる。

踊るときにその音楽がどれだけ体に馴染んでいないと
それが何かしらの違和感となって見ている人に届くな、と
最近気づいた。

この人、思ってることと言ってることが違うな、みたいな違和感。
どれだけ上手に話していても、
その部分の違和感はやはりセンサーが感じ取ってしまう。

みたいなことかな。
音楽と身体が一体化していると、
すごくすんなり踊りも見てる側に入ってくる。

その違和感をわざと振り付けにすることもあったりするんだけど
見終わった後に音楽が頭の中に残ってたりする時は
大体そのダンサーが音楽と一体となっていた時なのかなあ。


そういえば違和感がない時って
時間も早く流れるよね。

違和感を感じない相手と過ごす時間は
いつもとてもあっという間だし、
違和感を感じない作業は
気づいたら没頭してやっているし。


今日のアートはコンテンポラリーバレエでした。

DANCE FILM - feat. Tess Voelker ( Choreography: Juliano Nunes)


#いちにちいちアート

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