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私は無償の愛を与えられないのかもしれない

磯野家のフネさんみたいに
優しくて、無条件で家族を愛し支える母親になりたいと思っている。
でも、そうなれないままここまで来てしまった。

無条件で誰かを愛するって、私にはなかなか難しい。
子どものことは大好き、明るい未来を願ってるし、元気に成長してほしい。
そのために、できることはなんでもしようと思ってるし、やってきたつもり。

でも、使った恐竜のオモチャは箱に片付けてよって思うし、脱いだパンツは洗濯機に持っていってほしいし、キモチ悪い虫がたくさん出てくるYouTubeをみてたら、やめてよって思うわけ。

親の所有物ではないことも理解しているし、親に操作される辛さもよくわかる。子どもが決して思い通りにならないってわかってても、これだけは守りたいっていう一線があるんだよ、私にだってさ。

ウチの子は虫が大好きだって知ってるけど。
ご飯の時は、YouTube見ないでってルール決めたの。本人もうんっていったの。でもしないの、約束守れないの。言えばいうほど、

子どもの行動とか考えとか言ってることを尊重したい。思うけど。
そうできないこともあり、
そうできないことの方が多く。

(虫がウヨウヨ出てくるYouTubeだけはやめてほしい)

イライラ、モヤモヤする日々。

*****

うまく、伝えられないんだよなぁ。子どもに。

これは大切なことって、だからこうしようって。
そう言っても、全然伝わらない。
結構、根気強く言ってると思うけど。まだ足りないんだな。
どこまで頑張ればいい?

それとも、あきらめるしかないのかな。それが無償の愛ってやつなの?

無償の愛ってセンスなのか?
そもそも、努力でどうにかなるものなのか?

私みたいな、根っこから腐りかけのマインドを抱える人間に、無償の愛を誰かに与えることなんて不可能なんじゃないかって思えてくる。いや、本当にそうかもしれない。

だからと言って、子どもに辛い目に合わせるのは違う。

子育ての本を読んでも、全く解決しない。
だって、そんなことわかってる。でもできないんだよ、うまくいかないのってことばっかり。

わからなくなってきてしまった。
何書いてんだ?

ネガティブだなぁ、最近。

というわけで、もうこのくらいにしよう。
何にも解決していないけれど。

*****

少しわかったのは、無償の愛って自分を諦めることかもしれないってことだ。「虫tube」をみながら朝ごはん食べたっていいじゃないか。
子どもがそれで1日を明るく過ごせるなら。

私は大人なのだから虫が嫌いとか言ってないで、どうにかこうにか我慢するしかない。見なきゃいいのだから。テレビの方向を見なきゃいい。

穏やかな朝の食卓なんぞあきらめろ。
それが無償の愛なのだ?


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