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常識を超えていけ、と教えてくれた「シャキーン」

Eテレ「シャキーン」が、この3月で終了すると知って、ただでさえこの季節寂しいのにまた寂しくなってしまった。。。

開始は、2008年。朝の心と体をシャキーンと目覚めさせるための、頭と体の体操をもりこんだ、大人も楽しめる知育番組。

開始当初の「捨てられた人形の妖精」のテイだったあやめちゃんのかわいすぎない存在感からはじまって、ジュモクさんの声にラーメンズの片桐さん、MCの女の子たちのなんとなく素朴な感じ。

セットの世界観、イラスト、キャラクター、それまでのEテレでお馴染みの、「教育」「学び」「子ども」っぽくない斜めな切り口に、個人的には好みと親しみやすさを感じていたのでした。

ちなみにここだけの話、シャキーンでやっていることは、作文教室でも応用させてもらったことがあります。

例えば、私が愛してやまなかった、子どもたちがとにかく好きなものを好きだと叫ぶ、「フレーフレー○○」。登場するのは一般(応募か何か)の子どもたちで、彼らには独特の「好き」なものがあって、それをただ大声で叫ぶだけというワンコーナー。

その「好き」には、短くなった鉛筆やら、妹の頭の匂いやら、紙を破る時の音やら、到底世の中の役には立ちそうもないものばかりが登場する。そして単純なわたしは、このコーナーを見るたびにとんでもなく幸せで満たされた。私も、ただただ「ガソリンスタンドのにおい」と大声で叫びたい衝動に駆られた。

で、小さな私の作文教室では、「好きなもの作文」を書いてもらったりしたわけだ。文章がうまい下手ではなく、とんでもなく偏った「好き」が書けたら、それだけでOK!みたいなね。

シャキーンの製作陣がどうだったかは想像するしかないけれど、あの番組も私も、子どもたちが「覚える」「できるようになる」「知る」こと以上に、「発想する」「とりあえずやってみる」「共有する」ってことを楽しもうぜ!と言いたかったと思う。というか、そう信じている。

それからもう一つ、この番組からは名曲が生まれまくっていて、私はこれら名曲からも、朝の寝ぼけた頭をアンテナになにかをうけとっていた。

アーティストたちが書き下ろした楽曲は、朝ごはんが体への栄養になるなら、心への栄養だった。

しかも、お気に入り中のお気に入りだった『72億分のあのひと』は、今チェックしてみたら、「竜とそばかすの姫」で主人公・主題歌を歌った中村佳穂さんではないか! 

むーん、、作りがガチ。

メロディの心地よさはもとより、心にずっしりと残るメッセージ、言葉。生命の奇跡、多様性への喜び、時間の超越、そういう難しいことをガタガタ言わず、

ただ美しいメロディに乗せて、子どもたちの無意識領域に届けようとしたものが、はっきりと指針としてあったように思う。

これも憶測でしかないのだけれど、シャキーンミュージックはきっと、おそらく、たぶん、いや絶対、子どもたちに、「命を大事にしなさい」「友達と仲良く」「学校楽しいよ」みたいな一切合切を全部すっ飛ばして、

宇宙のことわり

を歌おうとしているんじゃないのか、って、ずっとなぜか、そんなふうに感じていたのでした。

常識を疑え、と。目に見えるものを、超えていけ、と。

私には、そんな通奏低音がずっと聞こえていた。という意味では、娘よりずっと真剣に(というか、子どもからすると当たり前すぎて響かないかも?)、番組の見えない意図を受け取ろうとしていたのであった。

子ども番組かよと思うかもしれないが、されど子ども番組、朝から憂鬱なニュースで表情を曇らせるくらいなら、TVをみないか、子ども番組を見たほうがずっとよい一日のスタートになる。

シャキーンが終わるその土壌に、また新しい分かち合いの番組が生まれることを祈って。敬意と感謝を込めて、最後まで見届けようと思います!


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