ことばの標本(15)_「待ってる。」
「二日前から水も飲まない 点滴もやめた 待ってる」
(危篤の親族を見守る病院から、夫がくれたメッセージ)
久しぶりに連絡をとったら、夫は病院にいた。オリンピックの開会式も見れないまま、危篤状態になった親族を見守るため、家族がそろっているらしかった。
夫の義兄のお母さん。ずいぶん前からパーキンソン病を患って、ここ近年は身動きが取れない状況だったと聞いている。
私もほんの数回しか会ったことのない親族。くる時が来たのだ、とみんな覚悟の上だっただろう。
夫はものすごい劣化した日本語で
「二日前から水も飲まない 点滴もやめた 待ってる」
と教えてくれた。
そうか・・・。数回しか会ったことのない親族とはいえ、人ひとり失うだけで世界が一変するあの感じを思えば、いま、支えている家族がなんとか元気でいてくれることを祈るしかない。
「大変と思うけど ゆっくり、過ごしてください」
と返信した。
待ってる、か・・・。
露骨に言えば、「死を待っている」である。残酷な響きなようであって、ここ数年介護に追われていた家族からすれば、正直な気持ちであることもまた、間違いない。
むしろ、それが家族の精一杯できる選択であることも。
夫の貧弱なボキャブラリーの中から、この言葉が送られてきた時、不謹慎にも、どことなく、明るい光を感じてしまった。
むしろ、苦しみから開放してあげたい。楽になってほしい。そんな気持ちの方が強かったに違いない。
待ってる、
その言葉をみて思い出したのは、ヨーロッパで異例のヒットとなった、「まってる」という絵本のことだ。原題は、「ぼくは待っている」だったかな。
娘が小さい頃、この絵本が大好きで、何度読まされたことか。
人生で遭遇する、いろんな「まってる」。
この絵本には、「待ってる」ことだけが描かれる。列に並んで「待つ」ことだったり、赤ちゃんが生まれるのを「待つ」ことだったり、週末を楽しみに「待つ」ことだったり。
淡々とそれだけが描かれ、待つことが、一人の人生を物語るに値する、あまりにも豊かな時間でもあることに気づかされる。
そして、仕事もできない、何の業績も残せない、そんな子育ての時間を、とんでもなく幸せに感じたものだ。
待ってる、って、なんて素敵なんだろう、と。(当時3、4歳の娘は、何に反応していたんだろうか)
待つことの幸せ。待つことがくれる豊かさ。
残された家族が生きていく世界に、新しい風を吹かせてくれる「死」というものについても、この絵本にはちゃんと、描かれています。
日本語訳は、構成作家の小山薫堂さん。フランス語でどのように語られているのかはわからないけれど、小山さんのリズムと余白のある翻訳がとても好き。
まだの方はぜひ、手にとってほしいと思う。
小山さんご本人の朗読の動画もあったので、ぜひ。
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