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全ては「きっかけ」にすぎないー書くことは考えること

初仕事は、受験生の作文添削です。

小論文なんて誰も教えてくれない中でチャレンジしようとしているんだから、それだけですごい。書けなくて当然だし、書けないことで悩む必要ない。みんな、同じようなものだから。

結果がつきまとう受験ですが、ここで経験することも無駄ではないことだけははっきりしていますので、もし困ったらご連絡くださいね。


小論文でも作文でも、結局、「おお、これは!」と思わせるものって、文章力とか難しい言葉知っているとかじゃないんですよね。

何が差をつけているのかといえば、

「自分の体験」から「何を学んだのか」

それを、自分の言葉で表現できているかどうかだけ、なんですよね。

こうやって書くと、結局難しいこと言ってるっぽいけど、要するに「尊い経験をしてきた自分のこと、ちゃんとわかってあげてますか」ってことだと、私は思うんですよね。

何を学んだ?とか聞かれると、特に理系さんは「正解」の「学び」を探そうとする傾向があるけれど、そういうことじゃない。

正解かどうかより、自分の経験によって、何をどう考えたか。その思考の道すじを描くことを求められている。

結局、「あーた、普段、何を考えて生きてんの?」を聞かれているだけなんです。

そうすると当然、「え、特に何も考えてない・・・」ってことに誰だって行き当たりますし、かといってそんな問いに一夜漬けで答えられるものでもないので、

極端な話、「コロナ」と聞いてポカンとしてしまうのであれば、考える練習をちょっとずつ重ねた方がいいのは間違いないですよね。深いだの浅いだの、色々言われても右から左へ聞き流し、トレーニングしていけばいいだけのこと。


目の前にある物も、事象も、人も、自分にとっては全て「きっかけ」に過ぎません。

なんの「きっかけ」かというと、新しい自分に出会うための、です。もしくは、今まで気づかなかった自分を知るための。

自分とは、世界です。

自分を通して、世界を見ているのだし、自分がいなければ、世界を認識できないのだから。

自分という世界は、どう深まり、どう広がり、どこを向いているのか?

小論文とか作文って、そういうものだと思います。って私は思ってます。

あるいは、大人たちが普段SNSで書き殴る文章だって、本来はそうです。そんないきりたって文章書かなくても「ふわあ、よく寝たあ」でもええやないか、という声ももちろん、私の中にあるけれども、

そこから先、いやその奥、を言葉にすることが、出会う人、見える世界を変えていくもんなんですよね。

答えにとらわれてしまったり、ええかっこしようと思ってしまったりするのは、子どもたちがそういう世界で生きてきてしまったからに他ならないし、だったら私たちでそういうものはもう止めにしたい。

受験も一つの「きっかけ」です。小論の準備をしながら、「受験に小論文は本当に必要なのだろうか?」という問いをもてたら、儲けもんです。

なんでも自分ごとにしていけば、小論って難しくないんだよ、と、あの頃教わりたかったなあ・・・


ということを思いながら、今日は心を込めて作文添削をいたしました。受験生の皆さんを、陰ながら必死で応援しています。

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