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餃子づくりを楽しむ方法

新年快楽!

というわけで旧暦も2022年が明けましたけれども、昨日、我が家の工場長(夫)が予想通り黙々と餃子を作り始めまして・・・

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二十三時を過ぎてようやく片付けを終えた頃には、なんかもう、数えたくないくらいの餃子が出来上がっていて閉口しました。お祝いというより修行でした。

工場長は、作り始めると基本無言です。そして、私と娘は、「違う!」「もっと、こう!」「だから!」と理不尽に怒鳴られ続けるしかありません。

具材は昼のうちに工場長が仕上げ、私も味付けに少し参戦したのですが、なんか味が足りないなあと思い色々加えようとしたところ「やめて!」と怒鳴られました。

試しに茹でてみたいくつかの餃子は、とんでもなく味が薄かったのですが、味付けは完全に工場長による判断と指示ゆえ、「まずい」なんて言ったら傷つくに決まっています。そんなことより、少なくともこの一週間は「とりあえず餃子がある」という状況に感謝するのみ。

正直にいうと、自分が正しいと信じてやまない工場長には、誰も意見できません。いや、意見してもいうこと聞きません。ですから、薄味などではなく、「こういう味だ!」ということです。


まあそんなわけで、私んちでは、皮から餃子を作るのが当たり前なので、市販の皮で包むなど許されません。

しかし、皮の分量と、具材の分量をうまく計算できないのが工場長の常なので、今回(も)余りに余った具材は、予備で買っていた市販の皮を使用することを許されました。

日本人は、この薄皮のやつをパリッと焼いたやつにそそられますよね! 私なんかはそれを想像しながら包むのが楽しく、もりもりに詰め込んでは、織り目正しく美しいフォルムを仕上げるのに凝ってしまうのですが、

その試作をやはり茹でて食べてみた工場長は、「この皮は薄い!やっぱり皮を作る!」と言って、ふたたび皮を作り始めました。エンドレス・・・

皮の硬さ、伸ばし方、手際・・母娘にしたらお正月のイベントでしかない餃子作りを、厳粛な職人の工房の雰囲気にまで高めあげ、「皮で遊ばないで!」と怒鳴り続ける工場長の信念は、一体どこから・・・?

いや確かに、具材や皮を作るのは工場長の役割で、そこには技が光るのです。生地の適度な硬さを感覚で知り尽くすうえ、今年は、合い挽き肉にキクラゲやえび、生姜など、TikTokで調べ上げたレシピを完コピしていました。

そういえば、数年前までは包むところも担当していましたが、その任務からは降りてもらったのでした。

包むとなるとなぜか、全部が全部ティッシュを丸めたような小汚いフォルムにしかならず、工員としてはこれは「商品」にならない、食卓に並べる気にならない、とはっきりお伝えしたところ、自分でも「包むの下手職人」を自認しているようです。

さて、春節に作る水餃子には、いろいろと縁起の良い意味があるそうです。私が現地で聞いたことがあるものは、餃子の形が昔の中国のお金(または財布?巾着みたいな)の形に似ていることから、鍋で茹でられる餃子をたくさん掬い上げることで=財運アップの願掛けがある、というものです。

たしかに、おたまでたんまりとすくいあげられた茹でたての水餃子には、見た目からして福々しい豊かさがありますよね。

もちもちした皮に、さまざまな具材を包み、まあるいフォルムに仕上げる。私なんかは、餃子包みながら我が子のパンパンに膨れ上がったおむつ時代を思い出したりして、それはそれは幸せな気持ちになります。


・・・ああ、それなのに!


我が家では、もう暴君スレスレの工場長が、今年も張り切って餃子を作り続けます。ほぼ無言で。

しかし、私だっていつまでもこんな苦行に付き合っていられない。ピラミッド型で搾取される労働などとっくに崩壊しているはずです。

もっと楽しい行事にしたい、もっと楽になっていいはずだ、いやしかし、この聞く耳もたない暴君とどう向き合えば…というわけで、私と娘は、やがて徒党を組みました。そして、ただただ理不尽な工場長に黙って従う工員を演じながら、

「ここの工場、ひどくないですか」(私)
「だいたい工場長が全然いうこと聞かないんだよ」(娘)
「先輩、いつからここへ?」(私)
「3ヶ月前から。給料なんて3ヶ月で1万だよ」(娘)
「ひ、ひどい・・・!」(私)

というコソコソ寸劇を繰り返すことで現実逃避し、ほぼ半日がかりの修行をなんとか乗り越えたのでした。いま、冷蔵庫には餃子しかありません。

ともあれ今日から春節! 

新年快乐!身体健康!恭喜发财!


というわけで、新しい一年もよろしくお願いいたします。


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