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わたしのマリッジ・ストーリー

台風接近してた日に、おうちでの引きこもり時間の中で、Netflixで「マリッジ・ストーリー」を観た。

アカデミー賞にもノミネートされた作品で、よく聞いている映画評論家の人も絶賛していて、主演はスカヨハとアダムドライバーという大好きな役者2人で、観なきゃいけない理由はたくさんあったのに、なかなか気持ちが乗らずに話題になってから1年弱たった今、Twitterのお友達に「絶対みて!マスト!」とけしかけられようやく観た。

マリッジ・ストーリーのあらすじはこんな感じ。

アダム演じるチャーリーとスカヨハ演じるニコールの夫婦が離婚に向かうプロセスの物語。チャーリーは演劇の監督、演出家で、ニコールはその劇団の女優さん。夫の不倫とか色々歪みがあった結婚生活だったが、ニコールがロスで撮影するドラマのオファーを受け、劇団をやめるというところが決定打となり、離婚することに。夫婦の間には、ヘンリーという男の子が一人いる。その親権や離婚における分与などで、徐々に諍いが増え…。

みてみた感想としては、ヒリヒリして、リアルだなということ。うん、なんか心がいたむ感覚。
どこで間違えたんだろうという離婚のはじめのプロセスから、もうもとには戻れないという離婚のおわりのプロセスに至るまでの心の機微がていねいに描かれていて、その動きに心がチクチクした。

たぶんわたしがチクチクヒリヒリしたのは自分自身も離婚した経験があって、自分自身と重なるところがあるからだと思う。

身に覚えのある感情的な言い争いをしたかと思えば、へんにお互い冷静に取り繕ったコミュニケーションをとることもあり、そして第三者が介入することで客観的になるどころかより複雑化していく過程。

わたしたちの場合は子どもも共有財産もなかったから、法的なこともなく、二人の間の話し合いで決まったし、決めた。マリッジ・ストーリーほどの争いにはならなかったけど、それでも疲弊して消耗した、お互いに。

チャーリーやニコールのように仕事上のパートナーではなかったけど、趣味やコミュニティ、そして何よりも10年もの思い出をたくさん共有していたパートナーだったから、それがこれからは変わっていくという実感で悲しく思った。楽しいことや場を一緒に、同じ思いで共有できなくなることの淋しさはたしかにあった。

でも戻れないと思ったし、そのときと同じような気持ちで私がいるのはもう無理だと思った。
わたしたちは楽しいことや生活を共有するのは得意だったけれど、難しいこと、つらいこと、責任や人生の方向性を共有することが苦手だった。そして、その課題感の擦り合わせをするほどの柔軟性や対話もいつしか失っていた。

「愛が失われた、そんなかんたんな言葉で表現するのはちがう」
ニコールは映画の中でそんなことを言っていて、わたしも同じように思っていた。
愛がないわけではないし、もちろん嫌いになったり憎いと思ったりしていたわけでもなかった。
ただいつしか二人でいる未来をわたしがイメージできなくなった、そして二人でいるはずなのに一人でいるとき以上に孤独感を覚えるようになっていた。すれちがいという一言では片付けられなくなった溝が出てきてしまったんだと思う。

チャーリーがニコールと激しい言い争いになったときに、最後なだれこむように泣いて一言謝るシーン。
わたしたちも似たような状況に何度かなった。
このことばじゃない、伝えたかったのはこんなことじゃないのに、そんなふうにお互いにたぶん何度も思っていたと思う。

離婚、結婚のおわりってこんなに傷つけあって消耗するんだ、でもそうするしかもうない、そんな状況だった。

ニコールとチャーリーは最終的にいろんなプロセスを経て、離婚する。
映画の冒頭にカップルカウンセリングでお互いの好きなところを手紙で書いて読むというシーンがある。そのときはいろいろあり、結局読まないままで物語が進む中、ラストにようやく意外な形でその手紙の内容が届く。
それを耳にして涙するチャーリーを見て、そしてその姿をただ見守るニコールを見て、たしかに二人には愛があったし、今は違う形でお互いを大事には思っているのを強く感じた。そしてふたりの結婚が終わったんだということも。

わたしの場合は、終わったという実感はすぐにあったし、なんならそのときはすっきりした気すらした。
でもはっきりそれを受け入れて、結婚したことも離婚したこともわたしには必要だったと、そしてたしかにお互いに愛があったことを実感するまでには実は1年以上かかった。

それは今年の7月の雨の日に半年近くぶりに元夫とごはんを食べ、お茶をしながら4時間近く話したときだった。

近況や仕事の話、家族の話、コロナの話なんかをしながら、二軒目の喫茶店でわたしは離婚当時のことを嫌なら無理しなくていいんだけどとそっと前置きをして恐る恐る問いかけてみた。
どんな気持ちだったか、なにがいけなかったか、お互いの何が好きだったか、何が嫌だったか、そんなことを二人が離れた今、話した。

旗から考えるとなかなかの拷問のような時間にも思えるけど、意外にもゆったりと落ち着いた時間だった。

好きだったところを話しながら、あーこの人はわたしのことをちゃんとみてくれていたんだなと思ったし、離婚当時の気持ちを聞きながら、わたしも同じ気持ちだったよと思った。そして、この人となんで結婚したのか、また離婚したのかということを自分の中で改めて整理していくことができた。

話していく中で、傷つけあった事実は変わらないけれど、幸せだった頃の思い出も、相手を大切に思いあっていた気持ちも同じように色あせないものだと思うことができたら、いつしか自分の心の中でしこりになっていたものが消えていき、変な罪悪感みたいなものも薄くなっていくのを感じた。

「1年越しに嫌なこと思い出させちゃって、離婚反省会みたいな感じになっちゃってごめんね。」と最後駅で伝えると、元夫は「いや、むしろよかったと思うわー、ありがとう。」と私がかつて好きだった優しい顔の神戸弁で言ってくれた。

「もう会わないかもしれないけど元気でね」とそのあというと、「なんでそういうこと言うん?また近況話そうよ。またな。」と言われて、こいつ変わってないなーと思った。

ニコールとチャーリーの手紙交換と同じように、私たち元夫婦は喫茶店での離婚反省会で、ようやくお互いの傷を、離婚という事実を受け入れて、お互いを手放すことができたのだと思った。

親しい友達や親にこの話をしたら、「なんで」と純粋に疑問をもたれたり、「何それ、まじいかれてる!」とか「本当にどこまでも真面目すぎるよね。」とか「二人とも律儀だねー。」とか言われたりと、その反応をみて確かにそうだよなーと思う。

それでも不器用な私にとって(きっと彼にとっても)このプロセスは、私の結婚を、そして離婚を受け入れるために必要で、私にとっての「マリッジ・ストーリー」のラストシーンになった。

ニコールとチャーリーのラストシーンのいろんなことを乗り越えて、すっきりした顔のように、私たち元夫婦の今の顔もきっとすっきりしたいい顔だといいなと思う。

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