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「旅すること」の再定義をはじめよう。暮らしにベースを持つことの美しさ

広く、世界を旅する、という行為を、私はとても愛していて。このnoteを前からちらり、チラリと読んでいるよ、という方は、私が地球をくるりと回って帰ってくる旅を、二度ほどしていることをご存知かもしれない。

見たことのない街、曲がったことのない角、出会ったことのない人、聞いたことのないことば。「新しい」を両手に集めて、「まだ見ぬ」の刺激だけ心に入れて、「書き物を仕事にしながら、世界中を移動して暮らす」を目指していた。目指し、続けていた。そして気づけば、「世界中、私の居所を誰も知らない」というところまで行き詰めて。

世界は美しかった。今もすごく、美しい。

でも最近、「基地をつくる」という楽しさにも目覚めてきたのだ。新しい、旅の在り方。「遠くへ行く」ことと並行して、「深く潜る」「日常をなぞる」「いつもをつくる」を意識してみる。

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そう、私はいつのまにか「いつも」を失くしてしまっていた。

想像は、容易い? 「旅をすること、いつだって国境を越えることができる状態」それが「ふつう」である日々が、「いつも」。そうすると何が起こるかというと、「旅」という概念が、「日常と旅」という概念が、薄まってゆく感覚が芽生えるのだ。

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今日が旅なのか、今日が日常なのか、わからない。

心のときめきを、もう一度整えたい、と考えた時、選択肢は私の中にふたつあった。

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このまま行けるところまで、旅人として放浪してみるか。一度何処かに居を構えて、「日常」を築いてみるか。

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後者、とカラダは言っていた。できれば、後者、と。境目をもう一度、作り直す「新しい」を。

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では何処に? と2019年、ずっと考えていた。そのために、またたくさんの旅を重ねた。「暮らす場所を、探す旅」。タイ、スリランカ、フィリピン、マルタ、ノルウェー、トルコ、香港、イタリア。けれど世界はいつだって刺激的で、「場所」で選べるなら、数年前にとっくに何処かを選んでいた、と私は地中海を見ながら思い出す。

ただ、旅をしながらひとり、「一緒に暮らしたいひと」そのひとなら見つけていた。場所で選べないなら、では「ひとで、決めよう」と。私は最近、暮らし始めた。

いやいや、旅は楽しいよ。あんな光に満ちた希望の世界。君は、知ってる?教えてあげるよ、地球と世界の、広さと狭さ。とっても綺麗で、時おり空の上で息をするのを忘れる。

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ただ、「旅をする」ことばの再定義なら、してみてもいいかな、したいな、とは強く願っている。遠くへ行くだけ、じゃなくて。日々を深く。深くなくてもいいから、横にすっと。「新しい」は毎日にも隠れている。だって、「同じ季節は二度とない」と、私は海外の街で、あんなに、毎日を大切に抱きしめて生きていた。

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でも、きっと、いっしょ。今までの私は、今の私からすると、「少しつまらなかったな」と想うくらい。視野を、広げよう。もちろん、旅には今年もまた出る。きっと、ふらりヨーロッパくらいまでは、行くだろう。

けれどその時は、また視点が変わってくれているはず。「日常」のベースを持った私が描く世界を、誰よりも私自身が楽しみにし始めているから。この気持ちまで持ってこられて、なんというか、本当に、よかった。と感じている。ひっそりと支えてくれたひとたちに、ありがとう、と言いたい。


いつも遊びにきてくださって、ありがとうございます。サポート、とても励まされます。