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舞台を観るより、舞台に立つ側の人生の方がいい

大人になって、舞台を観に行く機会が増えた。

朝眠い目をこすって起きて、毎日同じ時間の電車に乗って、同じデスクに座って、誰がやっても同じ結果になるような仕事をして。また同じ沿線の電車に乗って、隣の部屋の人とそう変わらないような、けれど一生懸命心地よくさせた1Rの部屋に帰って、そしてまた眠って、起きる。

せっかく就職できた会社で働く、いまの暮らしに大きな不満があるわけじゃなかった。けれど「なんとなく」ぼやっとした感触だけ残して過ぎ去る毎日と、大きな分岐点なく過ぎてゆく20代半ばという「輝かしそうな」時代を前に、「このままじゃいけないような、気がする」という気持ちが消えないだけ。

だからといって、何を変えれば毎日が劇的に変化してくれるのかもわからないし、そもそも劇的に変えたいのかどうかだってわかんないし、どうなったら自分が今より幸せだ、とかぼんやりしてない、と思うのかどうかだって。大学を卒業してからのふわっとした日々で、自覚さえできなくなってしまった気がする。

だからだと思う。せっかく東京にいるのだし、何か新しいことを吸収せねば、という焦りが生まれた。通勤経路を少しを変えれば、銀座の歌舞伎座だって、浜松町の劇団四季だって、渋谷のシアターオーブ、世田谷のシアタートラム、下北沢の小劇場だとか、とにもかくにもたくさん見られる。

お金を払えば、文化が買える。それはいつか、私の血肉となって、未来を照らしてくれたり、しそうじゃない? 普段はあてにしない勘を頼って、慣れない宝塚とか、コンテンポラリーダンスとか、ミュージカルとか、行ってみる。知り合いが「チケットがあるから」と誘ってくれた、私より年下の子がボーカルを務めるバンドのライブに、足を運んだのもたぶんそんな理由だった。

渋谷の道玄坂の、そんなに小さくもない会場。ラブホ街に近い坂道を登り切る前にある、地下に通じる小さな階段。ピンヒールがカタン、カタン、と音を立てないように、できるだけ注意しながら数段下がる。そして重苦しい扉に手を当てて奥へ奥へと進んだら、そこはまだ光の少ない、主役を待つ観客がスタンディングで雑談する、まぎれもない「箱」だった。

正直にいえば、ここには見覚えがあった。学生時代に、何度か舞台に立つ側の人間として、立ったことがある場所。ダンス。私の学生時代を、隅から隅まで照らすように存在していたそれ。ジャズからストリート、いつのまにやら学内では飽き足らず、ダンス仲間と数人で徒党を組んで、お遊びのようにクラブのショーケースに出ていた時代があった。

「卒業したらあとは死ぬだけ」。学生時代最後の夏休みに、合宿帰りのバスの中で合言葉のように呟いたことばたち。「大人になる」ということが、どういうことなのかよくわかっていなかった。卒業して就職して、2年と10ヶ月くらい経った今になってわかるのは、今まではずっと「1年生」とか「2年生」とか、365日を経たら身分とか肩書きが自動で変わってくれたのに対して、どうやらこれからはそんなことはなさそうだぞ、という予感だけ。

だとしたら、どうやって私はこれからの人生を「自分で段階を変えてやっていけば、いいんだろう?」。そう思っているうちに、舞台には主役たちが現れる。私を誘った友だちは、チケットだけよこして姿を現さない。友だちっていうのは、いつもそうだ。

あかりが消える。暗闇の中で、ドラムが始まりを知らせる音だけが聞こえる。その音は昔、私たちだけの、ううん、「私」だけの、ものだった。「板付き」という単語は、音が出る前からステージに立つ意味を示すもの。音楽が鳴り出したら、それと同時に動いていいよ、と知らせるもの。今日板に付いていたのは私じゃなかった。私たちじゃなかった。ドラムとギターの音が響く、手拍子が鳴る、まるですぐ近くで花火が上がるように、体の奥底、心のすごく深いところから、肌を震わせるような振動で響く、生音たち。に次ぐ女性の歌声。きっとあの頃の私たちと同じくらいの年のような、背格好までどうしてだか同じ、似ている。どうして照明に透けたらそんなに綺麗に光る薄茶色の長い髪をしているの、その色は私があの時愛した大切な。色。

何曲歌っても、何度トークされても。思い出すのは、響いて欲しいのは、あなたの歌うその切ない恋心を伝えるそれではなくて、私たちの足を、腕を、動かしてくれる最初の3拍子だけだった。3・2・1で動き出す。

それはもう二度と、戻らない大学生の日々。まぶたの裏に焼き付いて離れない。音を選んで、曲の編集をして、振り付けを覚えて、練習をして、雑談と寝不足を重ねたその先にある舞台の瞬間。

***

思い出してしまった、と、ピンヒールのカツン、カツン、という音を今度はもう鳴らしながらその箱の階段を上る。完全に約束をすっぽかした形の、大学時代の友だちは、「道玄坂を登りきった先にある、富ヶ谷方面に向かう途中の居酒屋でビールを飲んでる」と連絡だけよこして結局来なかった。「だってさ、舞台を観るよりも、舞台に立つ方が気持ちいいものじゃん?」。知ってるなら、もっと早く教えてくれたってよかったのに。

誰かの物語の脇役として過ごす毎日は、どこか守られているようでぬるま湯で気持ちがいい。だって誰からも糾弾されないし、されたとしても「誰かのせい」にして言い訳が立つし、文句は言えるし、流れる日々は平和。「あっという間にすぎる」のは金曜日の夜から日曜日の夜までのたった48時間くらいの出来事だし、あとの週の120時間くらいは「早く金曜日の夜が来ないかな」で終わってゆく。

そんなのって、やっぱりどこか、物足りない。そうか、私は「もう一度スポットライトが当たる瞬間のある人生」が欲しかったのか。じゃあそれは、お金を払って文化を買うような生き方ではないな。ちゃんとこの両手と両足と、五感を使って生きねばならない。

居酒屋の扉を開ける。学生時代を共に過ごした、懐かしい顔に向かって「誘ってくれてありがとう」と、ふてくされたように私は言う。幸いなことに人生はまだ続く。毎日が一番輝かしいのは、もしかして今なんじゃないだろうか、とか思いながら、まだ生意気に生きてみたい、とビールをあの頃みたいに何も考えずに一気に放り込む。何の見通しも立っていないけど、明日からまた歩けるんじゃないか、みたいな気がした。

いつも遊びにきてくださって、ありがとうございます。サポート、とても励まされます。