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アンテナを張って生きること、蕾咲きゆく美しさ

『灯台もと暮らし』という媒体をつくっていた時、チームの中で暗黙のルールみたいなものが存在していた。それは、「3つ揃ったかどうか」ということ。

もとは、鈴木絵美里さんという、女性編集者の方をインタビューさせてもらったときに、話題に出たのがきっかけだったと思う。

「3つ揃ったか」というのは、生息地や価値基準の異なる(と思われる)まったく違う層に生きる人たち「3方から、同じキーワードを聞くようになったか?」という、ある種の編集者の、変な線引。

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「3回同じ話を聞いたらGO」。たとえば企画を動かすとか、インタビューを実施する、とか、その土地を訪れる、とか。くだらないこと、心の中で、けれど大切な決めごとで。

あとから気がつく。それは結局、「アンテナを張るかどうか」の話。ときめく話も、最初に意識に「引っ掛ける」ことをしないと、何度同じキーワードを耳にしても、スルーして終わってしまう。まず、「イチ」を数えること

それは、「知らないことは検索できない」「検索できないことは、知ることが難しい」。私たちは、いま、なんでも調べてみることができる時代に、生きているのに。

その話に、少し似ている。

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「花が咲く」ということに気がつけるかどうか、ということも、なんだかちょっぴりそのたぐいだ、と思ったりした3連休の最後の夜。

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切り花や枝ものを買うために、月に数千円〜1万円ほどのお金を費やすようになって、4ヶ月目に入った。

最初は、ただ好きだった花々。日が経つにつれ、「蕾から咲いていく様が美しいのだ、好きなのだ、愛でていたいのだ」と気がつく。

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部屋の中のほかに、窓のそとに3種の梅が咲く。といっても、彼らは1種ずつ、順番に咲くようだ。

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この部屋で暮らし始めたのは、昨年の夏の終わり、秋のはじまり頃。

秋が冬に、冬が春に変わっていく様子を窓の中から眺め続けていたら、ふと気温が上がりつつあったとある日に、「長らく枝だけだったこの木は、もしかしたらこれから咲く。梅……なのでは?」と、蕾がふくらみ赤く頬染め、今日明日でまさに咲きますというその日に、気がついた。

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今は1種目が満開を終え散り終わりの新緑、そして2種目がまさに咲き誇り中、3種目が蕾を染め始めた頃。

咲いている様子を愛していたのではない、咲く過程をじつは愛しく思っていただなんて。知らなかった。

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たくさんの鳥が遊びにやってくる。手を伸ばせば届きそうな距離。一度、窓を大きく開けていたら一羽部屋に飛び入ってきて、とても驚いた

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住む街に咲く桜。彼らを見ながら、部屋のそとの梅を見ながら、そして部屋で咲き誇り、そして枯れ行くラナンキュラスやヒヤシンス、スイートピーにチューリップ、フリージアにグラジオラス……なんともたくさん、花の名前と特徴を覚え始めてきたことだろう。

とにかく、見つめながら、ふと瞬間で気がついてゆく。

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花を飾ることは、街中の「人以外の存在に気がつくこと」。

そう言ったのは、誰だったろう。

世界にたくさんあふれる情報、すくいとるための「網」を、私たちは日々きっとつくり、鍛え、強くしている。それを時折、「生きる意味」とか呼んだり、するのだろう。暮れてゆく、3連休。なんでか、ここにも3が散りばめられていた。

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