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初めて、桜の花が可愛いと思えた日。

桜の花は、かわいいよりも、人生の節目、節目にみる、私に取っては、魔の花でした。

大学の合否の通知を、試験後、電報受付という場所が設置されて、早速申し込む。


当時は電報で、「サクラチル」が届いた。不合格である。

それから、桜の花が嫌いになったのである。


が、後ほど、電話で、「補欠合格」の連絡を受ける。

この時ほど、曖昧な気分はなかった。


桜が、満開なのも、散るのも、それ以来見たくなくなった。


今回は、春の「降る、吹く、曇」の天気がおさまった頃合いを狙って、実家へ。


オババ様、母こと、いつもの、「待ってました・・」と、「仕事、いっぱいあるよ」と。


「竹が、風で、倒れてもうて・・」


それから、竹引き、枝払い。と半日を過ごす。


水路の草取り、水路沿いの小路の草取り。これは、親父名前、道を意味する由来を感じて自然と行う。

昔昔、車道の無かった時代、お馬さんで、ぽこぽこと、お寺の和尚さんが立ち寄るには、絶好の場所。向かいには、田舎饅頭づくりの茶店があるときては・・・。

お茶の代わりに、「お酒でもいっぱい・・」なあんて。と、思い浮かべては、草取り。


竹藪道の入り口だから、このシーズン、竹の子掘りの人の出入りがあると思い、桜も咲き始め、水路の草取り、小路の草取りをきちんとしておけば、気分もよろしいものかと。


初日は、枝垂れ桜の花は、蕾で、5歳の子供。

2日目は、一番可愛いなあと、蕾も残るが、咲く花も。10歳の少女となった。

花見をしながら、草引き。桜の木の周りを草引きしていると、まるで、親父に見られているような錯覚を起こす。親父と語りながら、桜が映えるように、目立つ草は、抜いておいた。

3日目、気温の上昇で、一気に、無垢な女の子から、19歳の少女へと。少し、色っぽさも出てきた。


桜は、10歳の女の子の時が、一番可愛いと感じた。初めての感覚だ。

親父のお墓参りには、未だ行ってないが、親父と母とで、植えたという桜の木。感慨深いものが残る。

この日、初めて、庭が、一つの生花の水盤のように感じた。

そして、御座敷には、雛人形が・・。








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