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「被爆のマリア」田口ランディ著を読んで。(ヒロシマ、ナガサキと、風化していく現実)

「平和がいちばん怖い。」という帯。

四つの短編集の中に、「被曝のマリア」が。

平和であると、大変だった時期を忘れて、のほほんと生きてしまう。というか、流行病いでは違った大変さ、地震、風水害もあるわけだし。その時々により、違う意味での大変さの中を生きている。この溢れ返る情報、時代に流されながら、今年で79年前のこと、スマホ、情報機器に溢れかえり、人々も変わる。Z世代は、何を思うのだろう。

「凡庸」ということなんでしょうか。


永遠の火

 キャンドルサービスに「原爆の火」を使ったらという、父親の提案に違和感を持つ娘。でも、原爆の火って、全国各地に灯され続けているとか。

 私が変わっているのか、結婚式なんてどうでもよく、もちろんキャンドルサービスも全然考えもしなかった。

 最後の、実家に帰った時、こんなにも庭木の手入れがされておらず、夏草が膝丈まで伸びている様子は、自分の感覚としては、そこにはもうご両親がいないと写ってしまった。
 最後の「庭先で見送っていた父母が、三度目には消えていた。」の一文で、その瞬間をシャッターで押したみたいな感覚に陥った。でも、永遠の火は・・。

時の川

 中学校二年生の修学旅行で、平和教育の一環として広島へ。
 その中にタカオが、放射線治療による被曝で、腰椎の発育に障害が生じたため、クラスでもひときわ小さい。
 入院していたとき、自分が、看護師や医者に命を委ねられているのだという自覚。医療従事者はみな大人で、その大人に気に入られようとする努力する、だから重病の子供はとても大人びてくる。

 八十歳の語り部ミツコの話と出会い。

 そして、二年前に他界した父のこと、死因はガンだ。最期は、壮絶な死を見た。

千羽鶴への思いと欺瞞。

千羽鶴を折れば、平和を願う、鎮魂になる活動に参加している。けど、そうでもないような。
 (自分は、千羽鶴は入院中、暇で仕方がないから、自分のために折っていた。いまだに、実家にも置いてあるし、自分の家にもかけてある。)

 最後の、熱中症のようなあまりの暑さに、倒れてしまうタカオ。それから、パラレルワールドのような夢?を見て、亡くなったお父さんが「こっちだよ!」と手をまねいて、「お父さん、ありがとう」と、現実に戻り、バスに乗る。


イワガミ


被爆のマリア

とつづく。

 この本の感想はどうやって、書こうと思い悩んで、早めに寝る。
翌朝、セミの鳴き声で、八月六日も、八月九日もミンミン鳴いていたことだろうなあと、思いをめぐらし。

 学校の修学旅行前には、原爆資料館前で、広島の歌を歌うために、合唱練習が行われて、でも、私は、原爆資料館の展示物で、印象に残ったことはその時はあったとしても、今は、なにも残ってない。

 ミンミンセミの声を聞くと、広島で、被爆した数学の先生の補講授業の時のこと、あの真剣さは、命の授業だった。だけど、朝が早かったから耐えられず、脱落。

 そして、広島大学出身のNという地学の先生の奔放な授業。答案用紙に美味しいカレーライスの作り方を書いてもOKという噂もあったが・・。
 地学部に遊びに行き、P波、S波の観測を見ているのが楽しかった。

 平和教育って、学校から強いられてされたものはほとんど頭に残らず、社会人になってから、社員旅行で、長崎へ行った時の、バスガイドさんの「長崎の鐘」の歌に始まり、永井博士の話が異様に心に残る。大浦天主堂では、石段に、人の座った痕跡がいまでも頭に焼き付いている。そして、永井博士のお住まい。

 それで、帰ってから、図書館で、「この子を残して」という本を借りた。

 原爆とは関係ないが、もう一人Kという面白い先生がいた、特攻隊の生き残り。終戦間際で、いきなり「トンボ」に乗れという指令で、訓練をうける。飛行初体験の話してくれた。操縦が初めてで、飛んだはいいが、低空飛行で、教官らが見ているテントを突き破るように・・。そして終戦をむかえ、今の自分があると。
 どこか明るい感じの話であったが、今思うと、生き残ってしまった自分って、運がよかった、でも、後ろめたい思いも、だから、生徒たちに話をするのかな。

 強いられたものよりも、自分で、何にも知識がなくて、その場その時で感じとった印象が、大事なような気がした。それを、自分なりに昇華していく。
 人生、その人、その人に、重い経験がどこかである。だから、その経験から、感じ取る力って、違ってくるように思う。

 戦争体験、被爆者の語り部の方は、どんどん亡くなっていく、これからどう伝えられるのだろうか。


 また、別の日に、セミの声で目が覚める。
 次は、「終戦の年の四月に言葉もまだおぼつかない末っ子の娘が疎開していく。その時に、父親は、何枚も宛先を書いた葉書の束を娘に渡したと言う。
 元気だったら、毎日⭕️を書いてポストに入れなさいと。
 妹は、最初は、大きな○を書いて、それが段々と小さくなって、最後は、✖️を書いてよこした。そして、✖️のついた葉書も来なくなった。
 案じて、母親が迎えに行った時、百日咳を患い、シラミだらけの頭で3畳の布団部屋に寝かされていた・・」

 暑さで、ぼっーとなった頭で、どの本の話だっけ?とその話がとても気になり始めた。探してみると、「向田邦子の遺言」向田和子著だった。
 その一部に、〈 〉で括った、邦子さんの『父の詫び状』からの引用だった。

 とにかく、私はフィードバックが遅い。変わらないものは、セミの鳴き声。セミの鳴き声で、当時の世界に引き込まれていく。まあ、そう言うこと。 









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