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母が少し吹っ切れたような・・。(モッコウバラ、朴葉寿司、そして写仏絵)

問題は、木香薔薇の強制剪定だった。

かなり、思い切って、剪定した。今のままでは、整理しようにも、手に負えなかった。5月は剪定時期。つるバラの知識は、曖昧。

で、勉強し直す。

3年に1度は、やってもいいらしい。

母は、バラの知識はなく、触らない方がいいというだけ。

シュートと行って、徒長枝にあたるが、こじんまりさせたいなら、勢いの良いシュートを元から切って管理。

今回は、強制剪定後なので、芽が出るか出ないか、不安だったが、2箇所、芽を見つけた。元気のいいシュートなら、秋まで大事に育てて、地面に水平になるように、柵にくくりつけて、仕立て直しを考えている。

母は、私のやること全部が不安要素の塊で、強制剪定をみたときは、もう、すぐ悲観的になって、「だったら、抜いてしまえ!!」

おいおい、おばばさん、それはないよ。焦るな。ほらほら、芽が出てくるから。少しさっぱりさせた方がいいに決まっている。


イノキ姉が、ご機嫌直しに、ローズガーデンに連れて行って、バラを見せたり。
そして、御近所さんから、何か励まされたのか。「芽は出てくるよ・・」

おばばさん、はっきりと、「あの子は、好きな時にやってきては、好きなことだけをやって帰るだけ。先日はたまたま、長居したけどね・・」とかさ。


そうそう、朴木の葉の採取の時に、イノキから、「こんぐらいの長さで、何本も、竹を切っておいて欲しい、花壇の囲いを作りたいから・・」と頼まれた。

時間がきたら、「私、これから竹を切るわ・・。イノキさんに頼まれたから。花壇に柵を作るってさ」それまで、花が終わったツツジの刈り込み剪定。エレガントに。


その時、母は、珍しく否定的な言葉は、吐かなかった。竹置き場で、せっせと、竹引きノコで、1メートル弱の長さで竹を切り分け、28本分用意した。時折、この台の方が、切りやすいじゃないのと、角材の破片を持って、覗きにきた。

4時になると、「私、仕事あがるわ・・」と。

「写仏絵」のお誘いを受けているから、高松の観音様のスケッチに行ってくるわと。

竹藪道の奥の奥に、私たちの地方では、「サバ土」というけど、地層になって、化石が出てきそうな山肌に、高松の観音様の石仏が祀られている、多少えぐられ、自然な祭壇が拵えてある。お賽銭も、おいてあった。

調べてみると、農村信仰の名残りのようで、今でも、例えばそこに住むとしたのならば、年齢的には、まずは弘法様の集まりに参加、そして、高松の観音様のお祭りとか行事に女性は、参加する義務があるらしい。なぜ、女性だけ?

それほど田舎は、男尊女卑が残っていて、古くから伝わる信仰を大事に守っている、なかなか縛りがきついところである。

今でもお参りする人があるようだ。

種類は、「如意輪観音」とか。右手で頬杖をつき、膝を立て、左足は無造作に、曲げて、その上に左手をおき、最初は、子供観音かなあと、腕の膨らみが滑らかに曲線を描き、左足のふっくらとした足が少しかわいいからだ。シャーベンでスケッチブックに簡単に描く。マムシに気をつけて。

お地蔵様のような、彫像でなく、石に浮き彫りという具合で、陰影も難しく、ラインだけ追うのに、精一杯。

その石仏の上部に、「一番」、右側に「同行九人」、左に「寛政○ ○月吉日」と、掘り込まれていた。

これは、スケッチしてみて、初めて気がついたことだった。


      *


母、おばばさんの語り。

「ひいお爺さんが、明治13年生まれ。それから、こちらに養子に来て・・」

婿養子なのかなあ?とにかく、実家は、男の子が生まれにくい家系のようだった。その度に、養子をもらって、なんとか繋いできて、今は、もう私とイノキ姉。二人とも家を出てしまった。

今の時代、よほどでないと、養子縁組、結婚すら難しい。

ひいお爺さんの妹夫婦は子宝に恵まれなかったから、祖母の子を養子にもらっている。

祖母の最初の夫さんの名前は、いまだに謎だ。2度目は、知っているが・・。祖母の夫1、2、が、ひいお爺さんの息子にあたる。高校生の時に、祖母が再婚したことを知る。先の夫が病死で、その弟と再婚。父親違いの長男の存在、彼も病死。

再婚して、親父ら兄弟を産み育て、一人は、生後何ヶ月で、養子に出している。

    *


母「ひいお爺さんの親は、江戸末期の人やね・・

ひいお爺さんから、聞いた話だけど、うちの村落は川の支流に囲まれているけど、本流の方で、大水が出た時、山内さんの〇〇が、大きな石を見つけて、この石は、何やらご利益があると。そして、石工に頼んで、彫ってもらったものが、高松の観音様。

まだ、新しいわ。

「一番」と彫ってあるのは、ここは、旧街道。だから、昔の旧街道を中、上まで、辿っていけば、それに関連した石仏はあるはず・・四国のお遍路さんみたいに。


私らは、教養がないから、歯が痛い時に、よくお参りに行った。今だと、歯医者に行くもんだけどね。右頬に手を当てていらっしゃるでしょ。」


私には、歯が痛いよりも、「よく考えなさい!」と諭しているように見えた。


写仏絵のお誘いで、描いてみて、良かったのは、母、イノキ姉、私と三人で、観音様のこと、郷土史のことについて、話をするきっかけになったことだった。私の下手な絵をまじまじとみるおばばさんと姉。

おばばさん、「観音様の裏を見た?」

イノキ姉と私、「そんな、勝手に動かしていいの?バチがあたる・・高松観音グループから、お咎めがくるよ」

イノキ姉、「写真を撮って、そこから絵を描いたら・・」

私、「でも、SNSに投稿したら、どうなると思う?」

観音様のスケッチをしたことから、郷土史のこと、古くから言い伝えのある石仏などの保存会のこと、また語り部活動をしている方々がいる、という話をイノキが話だす。人の話を聞いて、ちゃんと三人でコミュニケーションが取れた瞬間があった。

普段は、滅多にない。


今回は、観音様のラフスケッチに過ぎないが、ここに上げるのは、少し考えてしまった。正直、「一番」があるなら「二番」もあるはず、だから、それを辿って、全部、描かなければいけないのかなあと。

それと、この地域に住む女たちの悲しみ、苦しみ、傷み(痛み)を観音様が見てこられたからだ。江戸末期から明治、大正、昭和、平成、令和と・・。

時代の流れを感じた。そして、歴史の重みを。それぞれの時代を生きた女たちの苦労も。それを考えると、自分の行動が軽々しく思えてしまった。

高松の観音様のヘタスケッチです。


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夕飯は、イノキ姉お手製の朴葉寿司をおばばさんと二人でいただく。

「牛肉のそぼろだね、私は、あさりの佃煮がいいなあ」私。

「おばばさんの方は、キャラぶきだね」

おばばさん、「デンプがあうね、ピンクの甘いやつ」


「あんた、三つ持って、帰りなさい。日持ちするから・・」

    *


おばばさんの今読んでいる本は、読み古した、「項羽と劉邦」。
おお〜、これこそ、いい本。

「この本は、ベースキャンプで、面白いからみんなで、回し読みした。格言がこの話から、出てくるよ。「背水の陣」とか。」

イノキに、おばばさんに読ませる本の内容を考えてくださいと、お願いメールして置いた甲斐があった。

まあ、おばばさんは、私が、自分のやりたいこと、観音様のスケッチにしろ、自発的に竹切る姿を見て、何か吹っ切れた感じだった。いつもは、人のご機嫌を常に気にして、堪えて堪えて、最後は大爆発する。今回は、それがなかった。


イノキ姉の朴葉寿司。

朴葉寿司(イノキの手作り)


中を開けると、こんな感じ。(酢飯の上にありあわせの具材を)














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