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ミニマリスト考察

ミニマリスト×自営妻 

の過去記事が比較的評判がいい。

普段、自営妻のあれこれを書き連ねている野中妻のページだが、
ちょっと寄り道して、
ミニマリストについてまだまだ語ってみる。

試金石

自他ともに認めるミニマリストとして、
「むむ、おヌシ、やるな・・・」と思う

ミニマリストだったら
持ってないであろうアイテム
というものが
この世には存在する。

・TV
・レンジ
・炊飯器
・ポット
・ソファ
など

野中妻はTVを何年も持っておらず、
TVがないと言っても信じないN○Kの集金の人とバトルをしたこともある。

負けじと、「ワンセグとかは見てるでしょ?」
と食い下がって来るN○Kの集金の人

その時は携帯も持ってなかった
野中妻(結婚前)。「携帯もありませんから!」応酬。

「どうやって生きてんの?」
とまじで聞かれた経験があります。

携帯を持ってないミニマリストはあまり耳にしませんねぇ・・・(°▽°)

むしろミニマリストは
スマホと最低限で生きている人のイメージ。

現在(結婚後)、
野中夫の要望によりTVあります
今ではスマホ持ってます

これ、
携帯をギリギリまで持たなかった人間にだけわかるあるある
なのですが、

今の世の中、携帯で認証すべきシーンが多すぎ
PCだけでは
いくらメルアドを持っていようと、
いえでんを持っていようと、
そして
パスポート・運転免許証・マイナンバーカードを
持っていようとできない手続きが多すぎ・・・

マイナンバーカードより強力な身分証明書。
それが現代のスマホ。

世の中パスワードと
個人識別・認証ばかりでうんざり。
SFの世界のように、
早く体にチップでも組み込んでくれ・・・と思う野中妻

・レンジ
・炊飯器
・ポット
・ソファ

ところで、これら上記のモノも、独身時代は持っていなかった。

これも体験した人にしかわからないだろうけど
レンジがないと不便です(°▽°)
どんなお弁当も冷や飯。

お米は
大好きなビタクラフトの鍋で炊いていた。

炊飯器の早炊きより速いので、今でも鍋で炊くことあり。
ただ炊飯器は保温ができるから、いいのぉ・・・
(結婚後は野中の持ってきた炊飯器使用中)

ポット・ソファは今でも
必要性を全く感じず持っていません。

断捨離®という作業

もと汚部屋出身の私がミニマリストになる時は
それはもう強烈な断捨離®をしました。

今思い出しても
ゴミ回収業者の方に悪かったと思うくらい
尋常じゃない量の家庭ごみを出し続けた。

「これいる?」
「一度なくして生活してみる?」
「どうしてもいる時はより良い物を買いなおす」
こういう視点で捨て続けた。

断捨離®は自分と向き合います。

・結局、捨てるものをなぜ買ったのか?
・購入の際に何を考えていたのか?
・今はどうして使っていないのか?
・今後使うことになるのか?使うのか?

モノともかなり向き合う作業です。

野中妻は
「これはいらない。なぜならもう使わないから
「これはいらない。なぜなら適当に買っただけで思い入れもないから」
「これはいらない。なぜなら代わりに〜〜すれば事足りるから」
「これはいらない。なぜなら失くしても、もう一度同じものを買わないから」
「これはいらない。なぜならこれを維持するのに手間とお金がかかるから」

という無数の確認ステップを経て
断捨離®をしました。

その結果、
モノと向き合う生活になりました。ミニマリストはこの結果です。

結局、家の中に
意味がわからず存在しているモノがなくなっただけ。

便利への恐怖

ミニマリストになる過程で
便利さへの恐怖も見つけました。

便利なモノって、便利さに特化している分、
汎用性がない
さっきの炊飯器にしたって、
米は鍋で炊ける。

米に対して、
鍋と炊飯器 
計2つのアイテムを所有しなくてはならないのだろうか?
そう考えてしまうのです。
(下手すれば、この場合、米を主食にするのを辞めるか?とまで考えるのがミニマリスト)

終始そんな具合なので
「これがなくてもどうにかなるんじゃ?」
という精神が発動してしまい
どんどんミニマリストとしてレベルアップしてしまう。

さらに追い討ち

そして、ミニマリストの人には
絶対にわかってもらえることですが、
ミニマリストは楽なんです。

モノが少ない。
目に入るモノが少ない。

これが如何に物理的にも精神的も楽か。

高級ホテルでも
美術館でも
やっぱり大切なのは余白
大切なモノとそうでないモノとの緩急のついた空間

さらに、モノが少ないと管理が楽
掃除が楽

断捨離®後に掃除好きになった私がいうんだから間違いない。
掃除が面倒なのはモノが多いから。

だだっ広い空間なら
掃除は楽です。
軽い運動になって楽しいくらい。

目に映るモノや文字が少ないと精神も落ち着きます。
調味料のラベルをソッコーで剝ぐのは
私以外にもミニマリストの中にはいるはず。

目に入るノイズが嫌いなんです。

ミニマリストは偏屈か?

ミニマリストは偏屈か?と問われれば、
こだわりがある人たちとは言えると思います。

物にこだわり、
生活にこだわり、
生き方にこだわり、
こだわりの結果
ミニマリストな生活を選んでいる。

偉いとか、よりいい生き方とか
言いたいわけではないです。
ただ、

本当に快適なので
どうしても
人に勧めてしまうのでしょうね。余計なお世話だとわかっていても。

ミニマリストはお金がないとハードルが高い

もと汚部屋出身の私だから言ってみます。
ミニマリストは
ある程度資金に余裕がないと難しい
です。

資金に余裕がない状態で
物をどんどん捨てることの難易度が
普通の人にとっては高すぎだから。

「捨ててもいい」
はどこかに
「いつでも買いなおせる」の気持ちがありますし

ミニマリストは大抵の場合
身の回りに置く物にはこだわります

いらない物はいらないから。
自分が納得いくアイテムだけを置こうとします

「安いから」という理由で
物を購入することがない人種
です。

必然的に良い物を買いますから
「とりあえず」購入をすることができません。

ある程度の資金力に到達しないと
自然発生的には生まれないマインドなんだと思います。

ただ、逆説的というか
ミニマリストになると
不必要なものは徹底して買いませんので、お金はたまります

だから、本当は
お金に困っている状態では、
どんどん断捨離®して
ミニマリストになってしまった方がいい
と思う。

この辺りは、
寄付の精神に通じますね。

貧しいものほど寄付をすべきという
托鉢の精神だったり、
カトリックの10分の1税だったり。
(寄付の話はまた今度)

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