「ヒモ」という生き方について
こんにちは、ともみです。
先日とある番組で「ヒモ」として生きている男に取材した番組を見た。「ヒモになる」=誰かにお金をもらって生きていくこと。お金をもらう代わりに何かしてあげるというか、何かしらのメリットがあってお金をあげる人がいるのが普通と考えていたが、その番組で出てきたものは私が想像していたヒモとは180度違った。
「ヒモ」になる=ご主人様or嬢王様になんでも従って生きるというのが私のイメージ。いや一般的なイメージ。だけど、そのヒモ男は別に媚びたり変に従ったりしない。むしろ、「もっとくれよ(金)」的な態度でいて驚きしかなかった。
こんな生き方あるのかと衝撃だった。と同時に、なぜか悲しくてショックな気持ちになった。ヒモとして生きるという生き方の一方で必死になって生きている人の存在があるからだ。私もどちらかというと一生懸命な方なのかもしれない。見えない未来と向き合って毎日自己啓発に励む日々。時よりなんのためにこんなことしているんだろうって悲しくもなる。未来の自分のため、将来の安泰のためと言い聞かせて乗り越えるのだが、ふと視点を反らすと「ヒモとして生きる」なんて生き方あるのか。
人生ってなんだかな〜 社会ってなんだかな〜 本当に考えだすとキリがない。一生かかっても全部のことに目を向けることなんてできないんだろう。
情報社会の現代だからこそいろんなことが暴かれるようになってきた。当然それらにはメリットもデメリットも。結局どう付き合うのが正解なんてありやしないんだろうけど、いつも考えてしまう。どうしたらよりよく生きれるのかと。
私は平和主義で平等主義。最後にはみんながちゃんと幸せになれますように・・
終わり