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【短編小説】嘯く蟬

今日の蟬も、やけにうるさい。

 ジジジ、ジジジジジジ。

 空のベッドに向かって、俺はただ目を向けることしかできない。揺蕩うカーテンの向こう側で、俺を嘲笑うように鳴く蟬たちの声が騒々しく聞こえる中、俺は秀の声を思い出す。

「いいよな、おまえは」

「え?」


 顔を上げると、秀が窓の方を見ている。カーテンを透かした木漏れ日が、青白い衣服の中を泳ぐ。
「蟬ってさぁ、一週間しか生きられないってよく聞くけど、あれって成虫の話だけなんだ。幼虫の間に、七年くらい生きてんだって」
 秀は、満足そうに言うと、俺の方に振り向く。その顔が入院してから突然坊主にしたこともあって、先月修学旅行で行った奈良の大仏にとても似ていて、思わず吹き出してしまった。
「はは、なにそれっぽいこと言ってんだよ!死ぬわけじゃないんだし、不穏な空気出してんじゃねえよ」

 じじじ、じじじじじじ。

 秀も、自分には似合わない芝居っぽい話し方に耐えられず、抑え込むような独特の発声で笑い始める。

 くくく、くくくくくく。

「…くくくっ、言ってみたかっただけ」
「てか絶対幼虫のくだりいらねえだろ!そんな生きてんのかよ蟬、命の儚さ薄れるわ!」
「あ〜そっかあ、幼虫無い方がそれっぽかったなぁ〜」
 秀は病人とは思えない野太い声で、「失敗したぁ」と、点滴から伸びるホースを左手で弄りつづけている。
「二次落ちた時より悔しがるじゃん」
「だってさぁ!」 
 起き上がった反動でホースが揺れ、しずくがポタリと落下する。
「こんな本物のところでふざけられるのも、なかなか機会無いじゃん!そういう寂しい感じ?一回ぐらいはやってみたいじゃん?」

 じじじ、じじじじじじ。

「あと病院のコントとかさあ、良くあるじゃん?俺コントもやってみたいもん」
 体力が人の二倍は必要なんじゃないかっていうくらい、秀は身振り手振りを激しくしながら話す。
「別にふざける必要はないだろ」
「でもこういうリアリティに、笑いのタネは隠れてるんだよ。ちょ、もう一回やらせて!雰囲気つくれよ、雰囲気」
「わかったわかった」
 秀は再び窓の方を向き、何度も座り直しては咳払いをしている。
「いくぞ?」
「わかったから」
 秀は蟬を見つめながら話し始める。

「なあ…、なんで蟬が鳴くか知ってるかぁ?」
 うわずった芝居の声に笑みを溢しそうになるが、負けじと俺も、わざとらしく話し始める。こういう時が一番楽しい。
「知らないけど…、自分が生きていることを皆に知ってもらいたいから…かな?生きてるぞおおって、生きてやるぞおおって。違う…かな?」 
 秀は上体を少し起き上がらせると、俺の名演技を軽くあしらうように、鼻で笑う。
「はっ…、そんな綺麗な理由じゃないよ…」
 まるで日曜劇場の中堅俳優のような趣きで、秀はゆっくりとこちらを向き、ニマリとはにかむ。
「あれはなぁ…交尾したくて鳴いてんだ」
「ははっ、おい」
 不意を突かれ吹き出してしまうと、秀はゆっくりと俺の方に首を回し、異様に光の入った無垢な目でこちらを見つめる。
「そのイノセントな目やめろ」
「だから、生きてるぞおお、じゃない…」
 秀は、一次予選を通った時みたいに、大きく万歳をして、無垢な目からいやらしい顔になる。
「ヤりてええええ‼︎」
 あまりのくだらなさと病人から出ない声に、俺は腹を抱えて笑った。やっぱりこいつは面白い。
「なんだぜ…?」
「はははっ…なんだぜ?じゃなくてっ…お前っ…ははは。台無しなんだよ」

 じじじ、じじじじじじ。

 秀も俺と同じように、腹を押さえながら、独特の発声で笑っている。

 くくく、くくくくくく。

「また惜しかったなぁ」
「惜しいどころじゃないよ」
 白い部屋に、蟬の声と俺たち二人の笑い声が鳴る。
「なんで蟬が鳴くか聞いたとこまではそれっぽかったんだけどなぁ」
「ほんとだよ、はははっ。あそこまで完璧だったよ」
「お前のわざとらしい演技はどうにかしないとなぁ」
「お前もな!」
「よし、次は病院コントで出ようかぁ!」
「ははっ、良いね。他のコンビとリアリティの差が出るし」

 じじじ、じじじじじじ。

 背にある扉から、ノックと一緒に看護師さんがやってきた。
「松村さん、そろそろ検診ね」
 俺と目が合うと、看護師さんは、もう少し話してからでもいいよ、と付け加えた。看護師さんが去り、秀の方を向くとまたいやらしい顔になっている。
「ナースはやっぱぁ、エロいだろ?」
「うん、エロいね」

 ジジジ、ジジジジジジ。 

「…じゃあ、検診はじまるなら、そろそろ帰るわ」
「ん、わかったぁ」
 バッグを持って立ち上がる時、紙袋が目に入り、あっと呟く。
「これ忘れてたわ、奈良のお土産」
「え、なになに」
 紙袋を手に乗せると、秀は「わぁっ」と呟く。
「結構重い。なんだろ」
 秀は、おもちゃを与えられた子供のように忙しなく紙袋を探る。
「お前にぴったりのものあったから」
 紙袋から出てきたのは、手のひらに乗る大仏のフィギュア。それも鉄製のちょっと高いやつ。
「お前にそっくりで面白いだろ?」

 じじじじじじじじじじじじじじじじ。

「くくっ。ほんとだ、めっちゃ俺じゃん」
「大事にしろよ!コントやるなら、退院したら毎日練習だから、早く元気なれ!」
 秀はよほど嬉しかったみたいで、手のひらの大仏をずっと見ている。
「じゃあ。また明日」
「うん、また明日」
 白い部屋を背にし、ドアに手をかける。

「じじじじ、じじじじ」

「え?」
「え?なに?」
 振り返ると、大仏が大仏を見ていた。
「ははっ、なんか面白いな」
「うるせえよ、早く帰れよ」
「はいはい、また明日」

 白い部屋から、白い廊下に出て進む。すると背後から、ごとんと金属が落ちるような音がした。がしかし、すぐに蟬の声がかき消していった。音の所在が気になったが、なんとなく振り返らないでおいた。

 ジジジ、ジジジジジジ。

 今日の蟬は、やけにうるさい。 

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