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【エッセイ】この世は「選べる天国」

 死について考えてみようと思う。

 大前提として私は、死ぬのが怖い。めちゃくちゃ怖い。何故怖いのか。それは「知らない」からだと思う。人間は知らない事がとても怖い生き物で、その怖さを掻き消す為に知的探究心が備わっているのだと思う。知識を蓄えて、少しでも怖くないように生きるのだ。
 ただ、「死」には情報が無さすぎる。何故なら死んだ人はこの世にいないから、誰も死んだ後のことを教えてくれない。「死人に口無し」とはかなり、すごく、素晴らしく、言い得て妙である。「死」とは情報が無さすぎて、分からなすぎて怖いのだ。

 その死に対しての怖さを人は想像力で補った。「死後の世界はこうだろう」と。それが宗教だ。
 有名なものを例に挙げると、仏教では極楽浄土と地獄、西洋では天国と地獄である。両者とも、二つの世界が存在している。「良いことをして生きたら極楽浄土、天国という幸せな場所に行ける、悪いことをしたら地獄という罰を受け続ける場所に行く」と人生に対する教えに想像力を使った。確かに皆誰も知らないから、そう大きな声でこんな教えを説かれたら誰も文句言えない。しかもかなり良いことを言っていて、ぐうの音もでない、良いことしようと思うよそんなのずるいよ。

 しかしここで僕は思う。「幸せ」とはなんなのか。どうやら天国は幸せな場所らしい。その幸せは誰基準なんだろうか、神か?
 いやいや、私の幸せ基準であって欲しい。

 例えば、マッサージ屋に行ったとする。「天国☆全身“幸せ”コース」と書かれた看板が目に入り、幸せになりに行く。…もちろん健全なやつだ。
 店に入ると、小柄な可愛い女性が僕に笑いかけてくる。笑窪がチャーミングでとても愛らしい。早速施術に入る為に、服を脱いで、うつ伏せになる。オイルか何かを塗ると、部屋にアロマの匂いが広がり、鼻腔を刺激する。

「凝ってますね~、何されてるんですか~?」
えくぼちゃんが肩甲骨を押しながら話しかけてくる。
「ああ、映像をやってます。」
「え~すごいですね~。私映画好きなんですよ~。」
えくぼちゃんの猫なで声が、耳に入ってくる。肩甲骨を押される。それからえくぼちゃんは、私に質問を投げかけてくる。私はそれに対してポツリポツリと返し、施術が進んでいく。肩甲骨を押してくる。

「お疲れ様でした~」

 施術が終わり、店を出る。肩をぐるりと回してみると、ものすごく軽い。ああ、ここに来て良かった。アロマの匂いに包まれながら、可愛らしい小柄なえくぼちゃんと会話をして、肩甲骨を押される。
「天国☆全身“幸せ”コース」ああ、なんて良いコースなんだ、幸せ‼︎

 …とはならない。このコースの名前に書かれた幸せは誰基準の幸せか。
 きっとオーナーだ。

 まずはオーナーはアロマの匂いが好きなんだろう。狭い施術の間にいくつもの「AROMA」の文字が見えた。そんなに揃えてどうするのだ。アロマのアイドルグループでも作るのか。48か。
 私はアロマの匂いがあまり好きではない。ここですでに幸せのズレを感じる。
 次に、その秋元康オーナーは小柄な可愛らしい女性が好きなんだろう。お店のスタッフ全員が女性で、全員の身長は更衣室に立てかけられた姿見より低かった。
 私はお姉さんタイプが好きだ。高身長お姉さんだ。巨乳派だ。エロいお姉さんだ。えくぼちゃんというよりか、「えくぼさん」が良い。そしてどちらかというと寡黙な人が好きだ。正直、施術中とかは話しかけないで欲しい。
「ああ~、うっ。あっ、はい。うっ。そうなんですね~。うっ」
 とかなってしまって、文字だと健全な店じゃないようになってしまうから。 
 クッ、なぜ康と好みが合わないんだ。もし合致していたらお互い幸せだったのに。

 そして私は腰を揉んで欲しかった‼︎肩甲骨が多い‼︎話しかけすぎて肩甲骨ばっか揉んでいた‼︎「天国?肩甲骨コース」だ‼︎

 と、まあこんな風に妄想を繰り広げてみたが、何を言いたいかというと幸せの基準は人それぞれだということだ。きっとこのマッサージ屋に行って大満足、それこそ「幸せ」と感じる人ももちろんいるはずだ。
 というか私の言っていることはほぼクレーマーである。
 もうさっさとエロいマッサージ屋に行って
「全身お願いします。オイルは無添加で」
って注文すれば良い。

 ここで話は戻る。天国の幸せの基準とはなんだろうか。天国の幸せ基準を、私たちは知らなすぎる。
 もしこれで天国の幸せ基準が秋元康オーナー神だったら、私は幸せじゃない。

 当たり前だが、マッサージ屋の看板に書いてある「天国☆全身“幸せ”コース」を見ただけでは、コースの内容を知ることはできない。そしていざ施術を終えると、私にとっての幸せではなかった。
 そして今私たちに与えられている天国の情報は「天国は幸せな場所です」である。
 恐ろしい…。マッサージ屋の看板と一緒じゃん…。

 そんな不透明な幸せのために私は死ねない。もっと私は自分の幸せを選びたい。
 そう、“選びたい”のである。

 奇遇にも、この世は幸せを選べて、各々カスタマイズできる。幸せは何種類もあって、時には幸せだと思っていなかったことも、意識をすれば幸せにする事ができるのだ。エロいマッサージを受けたければ、エロい店に行けば良いのだ。この世は“選べる”天国である。

 しかし、この世は地獄でもある。不幸と理不尽が蔓延っている。
 あの世の地獄と違う点は、この世の地獄は何も悪いことをしていないのに、罰を受け続けなければいけない人間や生き物がいるということだ。理不尽にもほどがある。「選べる」「選べない」以前の理不尽、地獄である。
 その理不尽な地獄から逃れるために、少しでも「選べる天国」が近くにあってくれれば良いなと思う。私はそうなりたい。誰かの「選べる天国」になって、少しでも地獄から遠くなって欲しい。
 そのために私も、理不尽な地獄から逃げながら、選べる天国を探して生きるのである。

来週も引き続き「死についてのいくつかの考察」をお送りします。

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