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【エッセイ】トゲ

私は今、大変な問題を抱えている。小さくも大きな問題である。

どんな問題も、事の重大さというのは当の本人しか分からない。その事を理解しながらも、時たまに他人の事情を憶測する事なく、軽薄な態度をとってしまう私は愚か者である。
だから私の抱えている小さくも大きい問題の痛みを分かって欲しい訳でもない。ただ聞いて欲しい。人に聞いてもらうことで楽になる事もあるからだ。どうか私を救って欲しい。

昨日から左中指に棘が刺さって痛いです。


痛いんです。なんでこんな小さいものからこんな大きな痛みが生まれるんでしょうか。痛いだけではない、「うぜえ」のです。うざいを超越した「うぜえ」。
ずっと痛みがあるわけではなく、ふと何かに触れた瞬間に
「まだいるぜ!!!」
と自己主張をしてくるのが煩わしい。出る杭は打たれるのだぞ、棘め。
まあ、棘の場合は出ていって欲しいけど。


棘に文句を並べているうちに、目的地に到着した。
ここにはこの煩わしさを解消してくれる天才がいると言われている。

そう、保健室。

白衣の天使2人が問いかける。
「どうしましたか?」
天使の声を聞き、私はある注文をする。
「あ、分かりました〜」
そう言って天使は注文通りに神器を渡す。そう君に会いたかった、ピンセット‼︎
早速受け取ると、天使の1人が「自分でできる?」と甘い誘惑を誘う。
一瞬戸惑うが、私は自分の真意に問いかけ、踏みとどまる。

「いえ、自分でやってみます」

そう、私はこいつと向き合わなければいけない。
君は何故、そこまでして煩わしいのか。
何故、私の左中指に刺さったのか。
(友だちの話が面白くて笑った時に、後ろに倒れそうになったところで机を掴んだら刺さりました。)

何か理由があるのかもしれない。
ただ抜く事が、本当に彼と私の為になるのだろうか。
今一度私は、昨夜を共にした彼と向き合うのだ。
何より、事の重大さは当の本人しか分からない。

左中指に集中する。親指を使い、指に圧をかけることで、棘の頭が出るようにする。指の中の血液が移動し、左中指が赤と白に変化したところで、去年の紅白歌合戦の事を思い出す。マツケンサンバが良かった。
少しずつ少しずつ、頭が出てくる。まるで春の芽吹きを連想させるつくしのように。
さあピンセットでこれをつまみ出せば全てが解決だ‼︎

…取れない。頭は出ているのだ、そこにいるのだ。
しかしピンセットを近づけても彼は、蜃気楼のように消え、ピンセットは空を切る。

再び集中する。
指の上に存在する黒い物体。
段々と指紋が年輪のように見える錯覚を覚える。
その瞬間、時が止まったような感覚に陥る。
保健室には私と彼だけ。2人だけの世界が広がる。
この世界でいつまでも、君と向き合っていよう。
諦めずにいれば、いつか君のことが全て分かる気がする。
諦めない。どんなことが起ころうと、最後まで。

「やってみようか?」
「お願いします!」

やっぱりプロに頼むべきだ。向き合うとかじゃなくて早く出ていって欲しいもん。
保健室の先生は優しく、時間をかけながら、丁寧に施術をしてくれた。
人の注目をこんな指だけに集めることって、「鬼ごっこする人〜」と指を立てた夕暮れのあの日と今日ぐらいだなあと思っていると、いくつかの記憶が蘇った。僕はこの景色を何回も見たことがある。

小さい頃から僕は、あたり構わず色んなものを触ってしまうので、よく棘が指に刺さる少年だった。その度に、母さん父さん、お姉ちゃんおばあちゃん、友達のお母さん、保健室の先生など、色んな大人の人に棘を抜いてもらっていた。
数ある棘エピソードの中で1番色濃く残るのは、小学生の頃下校中に刺さった棘を、お姉ちゃんとお父さんが抜いてくれた時。
僕のまだ小さい手を、2人が一生懸命に押さえて、ピンセットを構える。
当時の2人はどこかギクシャクしていて、弟ながらその微妙な空気を感じていた。その2人が我が息子、我が弟と、力を合わせて一本の小さな棘を抜いていたのだ。

今だからこんな綺麗話にしているが、その施術は酷いものだった。
暴れ叫ぶ僕を押さえながら、2人はニコリともせずに真顔で棘を抜くのだ。怖すぎる。
もう後半に至っては患者の僕より、やいのやいのと叫んでいた。
施術後も「これもう抜かずにいた方がマシだったのでは?」というぐらいの痛みを残す不器用な結果だった。その不器用さも、当時の2人らしかったのかなあと今は思う。

「取れた‼︎」
先生は、縁日で金魚を掬った少女のように言った。
取れたトゲはほぼ「無い」に等しく、目視でさえギリギリの棘だった。
しかし、私たちの喜び方はもう凄かった。
保健室にいることを忘れ、2人で大きな声を出して喜んだ。パソコンで何やら打ち込んでいたもう1人の先生も一緒になって喜んでくれた。
棘ってこんな盛り上がるっけ?マツケンが来るかと思った。
最後には思わず
「ありがとうございます、ドクター」
と言ってしまった。
もちろん初対面である。

先生は棘が抜けた時に
「なんでこんなちっこいのに痛いんやろね〜」
と言ってくれた。
事の重大さは当の本人しか分からないが、先生のように想像して分かろうとしてくれる人もいる。
たとえ相手が「分かってほしい」と思っていなくても、「分からない」という簡単な言葉で決定づけるのはとても失礼なことで、人と関わるには先生のような「分かりたい」という気持ちが大切なのかもしれない。
先生の姿勢を憧れに、私もいつか誰かのトゲを取ってあげたらなと思う。
そして気づきを与えてくれた棘よ、さらばだ。

来週から3週続けて「死についてのいくつかの考察」をお届けします。

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