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アンチを学ぶ

最近「アンチ○○」というのが多くなっている気がします。
価値観が多様化してきたこともあり、それを受け入れられない人がアンチになるケースは多いと思います。

僕も子供の頃「アンチ巨人」でした。
そのころは、僕に限らず巨人ファン以外はほぼ全員がアンチ巨人で、子供たちは野球ゲームで巨人をボコボコに倒すことに喜んでいました。

そもそも人間だれしも、アンチになった経験があると思います。
アンチは
「反対」「対抗」「違背」を表す接頭語。
ということなので、何かに反対したり、対抗することがすでにアンチなのです。

しかし、アンチの多くは感情的なものであり、それが過ぎると自分の評価を下げたり、人を傷つけることになると気が付いてほしいです。

アンチの種類

まず、アンチには大きく分けて2つに分類されるということです。

知っているアンチ
・知らないアンチ

では、それぞれがどんなことか話していきましょう。

知っているアンチ

僕はアンチ巨人でした。
野球好きの祖父も母も、同級生の多くもそうでした。

僕の場合、最初は周りの大人が嫌いだったから嫌いになっていました。
大人がアンチになった理由としてはV9時代に強すぎてひいきのチームが勝てなかったことだったり、「江川事件」といわれた強引な経営手法だったりしたようです。
時が経つにつれて、有名選手を高い契約金で集めていることへの反発もおぼえるようになりました。

ここで不思議なことがあります。
嫌いなはずなのに、巨人のことを追いかけているのです。

「アンチ巨人」をWikipediaで引くと、まさに僕が感じたとおりであり驚いています。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%81%E5%B7%A8%E4%BA%BA

このように理論的なようでいて、ただ感情的になっているだけだったりします。

この程度は問題ないのですが、それがエスカレートした事件を僕はおぼろげに覚えています。

それは、熱烈なヤクルトファンが「自分は熱狂的なヤクルトファンで、アンチ巨人だ。巨人が勝って腹が立ったからという理由で、駐車場でタイヤを大量にパンクさせたものでした。

極端な例ですが、このようにアンチをこじらせると、感情が爆発してだれかを何かを傷つけることさえあるのです。

知らないアンチ

人は知らないモノに恐怖を抱きます。
なんだか分からないものは危険、だから避けよう。だから批判する。となるのです。

知っているアンチと知らないアンチの差は「詳しく触れているかどうか」だと思います。

アンチ巨人の場合は、選手や球団経営を理解しての反発ですが、知らないアンチはそうではありません。

「周りが言うから」「マスコミが言うから」「ちょっと見たけどこれは・・」といった、外から聞こえたことや短い体験だけで、全てを見ないで勝手に判断しているケースです。

20年ほど前ですが「東京は水がまずい」「料理がおいしくない」「生活費が高すぎて住むのは難しい」といった話をよく耳にしました。
まわりにいた「アンチ都会」の人々は、そうした情報を元に都会に行くことを拒否していました。

一方で僕は昔から都会が好きで、様々な雑誌やテレビから情報を集めていました。確かに悪い部分はあるかも知れませんが、常に新しい流行が起きたり、オシャレな空間や一流のお店があるのも都会だと理解していたので、批判するアンチに流されることはありませんでした。

すでに10年以上、都心に住んでいるのですが、思った以上に先のようなネガティブ要素はそれほど感じず(生活費の中で家賃だけは高額だと思いましたが)、都心の生活は楽しいと思っています。

このように良く知らないからアンチになるのです。

また、知らないアンチほど人を傷つけます。
僕はかつて英会話スクールに通っていました。その時、面白い先生がいて、友達にその話をすると「なんだ、そんなの」「そんなの面白いの?」というようにからかってきました。これもアンチの一種です。
その時僕は「よく知りもしないのに」と腹を立てていました。

まとめ

知っているアンチも、知らないアンチも多くの場合、負の感情に引っ張られているだけです。

だれにでもアンチになることはあるのですが、それが誰かを傷つける行為なら、カッコ悪いことだと気づいてほしいです。

嫌いだったり、腹が立つなら関わらなければいい。
良く知らなければ、まずは知ってみればいい。

アンチとは、自分の感情に振り回される、あるいは新しいことへの恐れがあるだけだけ、つまり自分の弱さの象徴だと思うのです。

僕は自分をもっと強くしたいのでアンチにならない努力をしようと思います。

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