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「おこぼれ頂戴」ビジネスほどハイリスクなものはない

「仕事をもらう」広告屋

私は20代の最初は新聞社に勤めていましたが、その後ある広告代理店に移っています。その経緯はここに書いていますので繰り返しませんが、この業界で強烈に違和を感じたことがひとつあります。

それは、「仕事をもらう」という言葉を日常的に口にすることです。あまりに日常的に言い過ぎて、その言霊が人格に影響を与えているのではないかと。

企業から広告費を「もらう」。どこに出してもいいような制作の仕事を「もらう」。まるで、広告業者が口を広げて、クライアントが食べ物を入れてくれるのを待っているかのようです。君らはひな鳥かと。そして、そのために休日にクソ面白くもないバーベキューだのゴルフだのに付き合って、それが仕事と勘違いしている。君らは鈴木建設(釣りバカ日誌)の役員かと。あれはコメディだから面白いのであって、現実だと笑えない。

新聞社は勤務時間などがかなりフリーな環境だったので、私にとってはそのギャップが大きかったのかもしれません。

その当時から、そんな休日の無意味な付き合いなどは無条件リジェクトしていたので、まあ普通に嫌われていました(笑)が、そんなの、仕事で提供する価値がないことを自分で告白しているようなものですよね。今のように、メディアが様変わりして広告出稿が減っているときは、大変だと思います。提供する価値を問われるわけなので。

とりあえず、案件を「もらう」というのは禁句にして、マインドセットから変えないといけないんじゃないかと思います。顧客に提供するバリューなんて、脳みそが液状化するくらい考え抜くものですよ、普通。

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※スティーブジョブスが考えていたiPhone原型のスケッチ(ジョンスカリー作)。初代iPhone発売の23年前。その間、想像を絶するほど考え抜いたに違いありません。

多重下請け構造

また、以前、下の記事でも書きましたが、製造業は強固な多重下請け構造の中にいま

日本の人口構造と世界の製造業の推移をみると、このピラミッドの下層に行けば行くほど、強いオリジナリティがない限り将来的な存続は危ういと言えます。二次請けは、仕事の量が減ってきたら三次請けに出す分を減らすのは当然です。

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しかし問題は、ピラミッドの下層になればなるほど、そこから脱却する意欲が少ないこと。あくまで私個人の感想ですが「こういうものだ」というマインドが染みついているように思えてなりません。

尤も、そのピラミッドから脱却するには、業種を変えるかメーカーになるしかなくて、それができないのであれば、独自の価値を追求するしかないのです。どちらにしても、脳みそ液状化は必須です。

親会社とは言うが、子会社とは言わない

いずれも、脳みそをフル稼働させることを放棄している思考停止状態です。自分の仕事にはバリューがないから、ご機嫌取っておこぼれをもらう。多重下請け構造は変えられないから、その中で仕事を分けてもらって、低単価に愚痴をこぼしながら粛々と図面通りに作る。

もちろん、それぞれ立派なビジネスなんですよ。決して、それ自体をディスっているわけではありません。でも、それって少し世間の風向きが変わったら、途端に消滅してしまうビジネスでもあります。景気や世界情勢に、いとも簡単に左右されてしまうのです。

また、もう一つ例を挙げますと、仕事を出してもらっている会社(取引先)のことを「親会社」と呼ぶ風習が、製造業にあります。最初はてっきり資本関係があると思ってましたが、聞くとそうではない。逆に、仕事を出している方は相手を「子会社」とは言いません。わかります?このギャップ。仕事を請けている方は、親からもらっている感覚。でも、出している方はビジネス取引。危険ですよね、どう考えても。会社って担当者も変われば経営者も変わるんですよ。そうなったら、リセットされるかもしれないじゃないですか。それを「親」と呼んで依存するって、危険としか思えません。

その構造の中にどっぷりいる方が、変化を求めてチャレンジするよりも、よほどリスクが高いんじゃないかと私は思うのです。

一度、思考のゲームとして、この構造から脱却するにはどうするべきか、徹底的に考えてみてはどうでしょう。なかなかアイデアは思いつかないと思います。すぐに思いつくのなら、周りはこぞってやってます。そこを、脳みそが液状化するくらい、一度考えてみる。1か月くらい集中してやると、これまで知らなかった「すでにやってる人」の情報が入ってきて、周りの景色が違って見えるかもしれません

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