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もう何年前の話だったか忘れたけれど、某企業に転職した数少ない優秀な後輩から引き抜きの話をもらった。

全く関心のない分野だったので転職する気はさらさらなかったが、話のネタや情報収集、後輩の顔を立てることも兼ねて一度会社を訪問してみた。

面接のキーフレーズ

元後輩の上司にあたる方が業界の説明や仕事の内容、すすめかた、やりがいや大変なことまでマンツーマンで丁寧に教えてくれた。あとできいたらこれが第一次面接だったらしい。

エリートな感じのいいひとではあった。
マニュアル化されてるんだろうなと思わせる、流れるような説明をきかせてもらったが、やはり1mmも関心がもてなかったので、次のステップにいくことはお断りした。

が、断った最大の理由は仕事の内容ではなく説明のなかで何度も繰り返された「100点の人生」という言葉がどうにもこうにもひっかかったからだ。

100点の人生

「100点の人生」というワードを最初に聞いたとき、違和感が全身を走った。

100点の人生ってなにそれ?
人生って評価するもんなの?
人生は点数なんかつけるもんじゃないだろ、と。そして、

「今の人生に点数をつけるとしたら何点ですか」

と聞かれてむっとした。
きっと70点とか80点とかの回答を期待しているのだろう、そして一緒に100点を目指そうとかいうのがマニュアル上の営業トークだったに違いない(これはわたしの妄想)。

「生き方に点数をつけるって発想が全然理解できないんですけど、どんな人生だとしてもわたしにとっては全部100点ですよ」

と、わたしはぶすっと答えた。

人生はいつから点数稼ぎになったんだ?

人生のTo do list に配点つけて、ひとつずつクリアしたら100点ではい、最高な人生でしたってなるのだろうか。
To do list でクリアできなかった案件があったら、ああ、100点とれなかったなあ、ってぼやきながらこの世を去るのだろうか。

説明会のあとで後輩に断りをいれたら「どこが納得できませんでしたか」と聞かれたので、正直に

「100点の人生って発想が嫌い」

と答えた。
彼は「そういう意味じゃなかったけれど、説明が足りなかったのかもしれませんね」と言っていた。
それ以降、彼とは連絡をとっていない。

100点満点の検証方法

その話を思い出したのは自分が今、今後の働き方、生き方を模索するにあたり、うっかり100点をめざそうとしていたことに気づいたからだ。
人生の100点ではなく、検証方法の100点満点だ。
せっかくすっ転んだのだから、たちあがるときは、転んだ反動を生かして
「抜けなく漏れなく」あらゆることを検証しつくしてベストな回答をつかみとる!
と、思い込んでいつの間にか必死になりすぎていた。

多角的に検証するなんてことは一番苦手なくせに、ついこれでいいのか、まだ考え抜いていないんじゃないか、検証する点は網羅されているのかと、まず検証方法の100点満点を狙ってしまっていた。

考えてみれば仕事もそうだったかもしれない。
超就職氷河期の先陣をきって労働市場へ送り込まれた我ら「貧乏くじ世代」は、ひろってくれた会社の役に立つ人材になるには仕事で100点とってナンボ、と思い込んで(思いこまされて)働いてきたような気がする。

「女は100点とっても評価されないから120点とりにいく」
といって上司の要求に常にプラスαを出し続けていた友人もいた。
気づいてなかったけれど、わたしたちはずっと100点を目指すよう訓練されてきていたのかもしれない。

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ドルフィンスイムで教わったこと

伊豆諸島の御蔵島で人生初のドルフィンスイミングにトライした。

海を泳ぐイルカの群れをみたのは初めてだった。イルカはまっすぐ泳いでいくだけでなく、急にターンして遊んでくれたり、仲間と群れたり、はぐれたり。海のなかで自由にのびのび過ごしていた。

イルカの群れに大興奮してしまったわたしは、見つけるや否や全力で息を肺に送り込み、水深も深めに潜ってはイルカに接近、並走にチャレンジした。でもすぐに苦しくなって、急いで海面に戻った。

が、イルカさんは次々とやってくる。

一度全力で潜ってしまうと、息が整うまで全く動けない。息があがって2本目以降は潜ることも泳ぐことも中途半端になり、海面に浮かんだまま通り過ぎるイルカをただ眺めているだけ、という残念な時間が続いてしまった。

インストラクターの方が「リラックスして、自分のもっている力の8割、いや7割で十分です。海面にもどったら数秒で息が整えられるくらいの力で。それからまた7割くらいの力で続けて潜れると、イルカも興味もって遊んでくれます。イルカに遊んでもらいながら泳ぎ続けるコツです」と教えてくれた。

最善をめざすことが最善でないこともある

これからの働き方、生き方をちゃんと考えるために最善をつくす。それだけのつもりだった。それがいつの間にか最善を100点と勘違いしてしまっていた。

人生に点数はつけられないって豪語した割には、100点の方法を模索し、回答用紙を埋めることが目的になりはじめていた。
勉強や仕事でやらされてきた100点思考(取れてはいないけど)に振り回されていた。

長年のしみついた思考のクセはそうそう簡単には抜けたりしない。
だから最善を尽くそうとすると100点を取ろうとしてしまう。
ドルフィンスイムのように、力を抜いて自分が思い描いているイメージのかなり手前、7割くらいできたら御の字だ、の姿勢で取り組むのが、今のわたしにはちょうどいいに違いない(このnoteも然り)。

イルカのやさしい穏やかな目と優雅にしなやかに泳ぐ姿を思い出しながらそんなことを考えた。

※写真は夏至前夜の夕空と御蔵島のイルカさんたち

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