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食べて、祈って、恋をした #2

責任転嫁。
通常は悪いシチュエーションでしか使われないし、責任転嫁するやつはダサいしカッコわるいし友達にもなりたくない。日常生活では間違いなくそうであるし、責任転嫁はやっぱりしないほうがいい。でも責任感が強すぎるあまりに自分を追い込んでしまうくらいなら、上手に責任転嫁したらいい。責任感が強く真面目なひとほどストレスをかかえやすい。真面目に人一倍の努力を重ねてきたなら人一倍ハッピーになってもいいのに、かえって生きづらくなってしまうのはもったいない。責任感が強すぎてがんじがらめになっちゃっているひとはもっと無責任に、もっと自己中になってもいいと思う。

期待は自分の思い込み

Q太郎に「わたしも一緒に四国おへんろの旅にいくことにした。ただ自分はこんな状況なので3日くらいで帰るかもしれない。気分のアップダウンもあるかもしれないのであらかじめ伝えておく」と正直に伝えた。言っておかねばあとでまたいつものように相手の気持ちを読みすぎて相手を優先し、自分の気持ちに正直になれなくなる。もちろんこんなことを言ったら旅に連れて行ってもらえないかもしれないとも思ったけれど、それでも「いいよ、そんなこと気にしないで一緒にいこう」みたいな甘い答えをこころのどこかでひそかに期待したりもしていた。

しかしそんな期待はみごとに裏切られた。
「OK、自分もこんな(気持ちが落ち込んでいる)だからこれ以上のストレスは受け止められないかもしれない。そしたら一緒にいくのをやめるか、途中で別行動にしよう」

ガツンと正面からノックアウトをくらった。傷つきざらついていたハートにバケツで塩水をぶっかけられたようなもんだ。世界を渡り歩いてきたオトコはやっぱり常に冷静だ。甘言を期待したわたしが間違いだった。こんな塩水をぶっかけられるような日々が続くくらいならこの旅はやはりやめておいたほうが身のためかも、と再度逡巡してしまう。だがしかし・・・
やめると決めたらラクなのに、やめると言えないのはなぜなんだ。

落ち込んでいるときは自己責任より責任転嫁

もう一度考えた。もし自分がフツーの状態だったらどんな選択をするだろうか。フツーの状態だったらわたしは迷わず旅するほうを選ぶだろう。新しい世界がみたい。新しい経験がしたい。やっぱりわたしは旅にでたいんだ。なのに気分が不安定だという一時的な状態を理由に旅に出られないなんて。こんなチャンスを逃してしまうなんて絶対にいや。納得できないのだ。

もし旅にでて、そこで相手が期待どおりのことをしてくれなかったとしても、期待にこたえてくれない相手をこころのなかで非難しちゃえばいい。そうして何があっても自分が悪いわけではない、相手が悪いと責任転嫁をすることで自分自身を守ることができる。それ以前に最初から期待しなければいい。
けれど、旅に行かないという選択をした場合、わたしははげしく後悔するだろう。行かないという選択をとって後悔したとしても、その選択をした自分自身以外に非難のベクトルがむけることができない。自分で自分を責め続けることは期待を裏切られるという一過性の出来事以上につらいことではないだろうか。

そしてさらに考えた。この旅は自分が回復するための自分のための旅。Q太郎の旅に便乗しプランを利用させてもらうだけだ。相手に無駄な期待さえしなければ傷つくこともない。そう、これはわたしのための旅。
やっと決心がついたわたしは、途中で東京へ帰る前提でQ太郎と話し、荷物をまとめ、10月末日東京の有明からでるフェリーに乗り込んだ。

15ノットの時間旅行

飛行機でも電車でもなく船でおへんろのスタート地点、徳島へむかったのは大正解だった。夜19時半に港をでて、翌朝現地につく。波の音を聴きながら潮風にふかれ、満月に近い月を眺めながらゆっくりと航行する船にのっていると慌ただしく目の前のことに追われていた日常からゆっくりと切り離されていく。

自分の日常があった東京や横浜の灯りが異国のように遠くなり、今からそこの「日常」の住人でなくなる気持ちが生まれてくる。灯りが見えなくなるころには日常から解き放たれて気持ちが穏やかになっていく。電波が届かない海上でケータイの電源を落とし、狭い船室のベッドにひとりゴロリと寝ころがってこの旅のために新調した真っ白いノートに自分の気持ちを書きつらねる。旅にむけて自分を守るためのルールをつくり、こころの準備をととのえていった。

旅のルール

つい相手にあわせてしまいがちな自分を戒めるために、旅におけるマイルールを作った。なにしろ今はわたしは前代未聞のレベルで弱りきっている。普段なら痛くもかゆくもない些細な言葉でも過敏反応して落ち込みやすくなっていることは明らかだった。最大級の自己中を実現させる旅にするには自分でルールをつくる必要があった。

自分に正直に:人にあわせない。「これでいい」でなくて「これがいい」で判断。自分が心地いいかどうかを基準に。
自分に問いかける:自分と話し、自分の話を聞いてあげる。自分に質問して深堀りしていく。
自分を一番大切に:自分が困っているひとだったら?自分が他人ならどう手を差し伸べるか。誰かのためでなくて自分のために。

共感にフォーカスしたらラクだった

旅のルールを肝に命じてからQ太郎と船のラウンジで簡単な夕食をとった。Q太郎と会うまではドキドキしていた。あいにく恋心でドキドキというわけでは全くない。ストレス過多で休職しちゃったわたしの心理状態も相当ヤバいけど、Q太郎もコロナの影響によりビジネスがうまくまわらず気持ちが病んでいるかもしれないという。そういうひとの対処方法をわたしは知らない。

ストレスで気分が低迷している人とはどうコミュニケーションしてよいのだろう。そういう不安でドキドキだった。だがここはマイルールに基づき、相手を気遣うよりまずは自分自分自分自分自分・・・ひたすら念仏のように唱えていたが、実際に会って話してみるとQ太郎は思っていたよりずっと普通だった。向こうも思っていたよりフツーなわたしの様子をみてほっとしたようだった。

細かいニュアンスを加えながら、わたしに起きたことをゆっくり話して聞いてもらい、わたしもQ太郎の抱えている悩みを聞き、テキストや電話では伝えきれずに噛み合わなかったズレを直していくことができた。

そして同じ月や遠くの夜景をみながらきれいだねと感想を述べたりしているうちに、意見や感覚の違うことを気にして合わせようとしたり合わせてもらおうとするより、感覚が同じところにフォーカスして共感しあうほうがずっと気持ちがラクだと気がついた。
なんとかやっていけそうな気がしてきた。

※フェリーからみた日の出(紀伊半島沖)


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