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写真家・薄井一議は、昭和の「視覚を奮い立たせる色」から我武者羅に生き抜く力を見出しながら今日を生きる。

薄井一議『昭和88年』より © Kazuyoshi Usui

※ この記事は2016年8月に写真メディア「TSK(ちぇっ)」で公開した記事をリライトした上で再掲載したものとなります。

どもっ!トモです。
自分、トーキョー生まれの新宿育ちです。そう言うとたまに羨ましがられることもあるんだけど、実際は良い思い出なんてそれほどない。

1980年代初頭、高田馬場と新大久保のあいだにあるマンモス都営住宅群で生まれた自分は、多国籍な子どもが集う新宿区の小学校に通った。といってもいわゆるインターではなく普通の公立だったんだけど、歌舞伎町から職安通り一帯をねぐらとする様々な人種の同級生、彼らが信仰する色んな国の宗教、あるいは極道の親分の子息がクラスメイトにいるような環境で、理不尽なことや不合理なんて日常茶飯事。もう滅茶苦茶でぐちゃぐちゃなトラウマ級の思い出ばかりなんだけど、月日が経った今、当時を振り返るとなんだか無性に懐かしく感じられるから不思議だ

思うに、あの頃ってのは、理不尽なことや不合理なことが今よりもずっと多かった。だけどそれって言い換えれば、あの時代には今よりもずっとスキマがあったということでもあるんじゃないか。街が、人々が、健全でかつてより暮らしやすくなった今、そんなことを考えさせられる。

写真家・薄井一議(うすい・かずよし)さんの作品集『昭和88年』を初めて観たとき、もうすっかり忘却の彼方にあった、昭和の残り香がまだ立ち込めていた頃の記憶が蘇ってきた。彼が描いて見せた写真世界っていうのは「昭和という時代が今もまだ続いていたら…というパラレルワールド」、つまり妄想の物語なんだけど、イメージのひとつひとつが断片的に写真で表されたことで絶妙な余白が残ってる。それだけに、鑑賞者一人ひとりが自由に繋ぎ目を補強して読み解けるというわけ。

その世界を知ったが最後、僕たちは時空のスキマをこじ開け、もうひとつの時代を目撃するだけでなく、全身でその中に飛び込むハメになる。薄井さんはそんな僕らの肩を後ろからポンと叩き、「仲間、 仲間。」とほくそ笑んでいるに違いない。

とある夕暮れ時、新宿の喫茶店で薄井さんから話を聞いた。

薄井一議さん
この後、2人でゴールデン街で夜明けまで飲みました

トモ 薄井さん、今日はよろしくお願いします!

薄井 トモさん、唐突なんだけどさ……

トモ はい!

薄井 深瀬さんの『鴉』の話、していい?

トモ ホントに唐突ですねw。

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