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仕事も名前も居場所も無くした専業主婦がスタートアップのバックオフィスとして再起するまでの話。

株式会社hokanのSBOともこです。スタートアップのバックオフィス(SBO)してます。

私は27歳で会社員を辞めて主婦になりました。33歳で妊婦で会社員復帰をしました。今は経理財務労務法務総務情シス採用広報などを担当しています。

私がどうやってここまで辿り着いたかを振り返ってみました。
職務経歴書には載らない主婦時代の話。

これまでの経歴。保険の商品開発→駐妻→スタートアップバックオフィス

ファーストキャリアは、適性検査で配属された保険の商品開発。

交際相手の転勤を機に結婚し、仕事を辞めて駐妻になりました。

異国の地に着いた瞬間に慣れ親しんだ私の名前は世界から消えました。「安田さんの奥さん」としか呼ばれない毎日。私のことを知っているのは主人だけ。その主人も多忙で不在がち。友達もいない、することもない、行くところもない、収入もない。私にはなにもない。そんなスタートでした。

ぐれないために掲げた駐妻のビジョン/ミッション/バリュー

この人生の転換を機に、自分の決断に責任をもつということを、強く意識するようになりました。

私はシンガポールに連れてこられたわけではない。仕事を辞めさせられたわけではない。私が選択した。今の状況は自分で決断して作り上げたもの。何があっても何かのせいにしない。

そして私なりの駐妻としての指針を設定し行動にでることにしました。毎日を生きるために必要だったんです。

【ビジョン】
すべては旦那様のハピネスのために
【ミッション】
私の役割は、駐在員夫が新天地でパフォーマンスを発揮することに貢献すること。
【バリュー】
1.私が楽しい毎日を過ごす
2.いってらっしゃいとおかえりなさいをする
3.健康を支える

それにしても何するにもお金がかかる。
私が楽しい毎日を過ごすためにはお金が必要でした。だから稼ぐことにしました。
会社で働くと9時始業が多くていってらっしゃいができない。そもそも駐妻ビザで就職が難しい。そこで見つけたのが「日本人向け学習塾での講師アルバイト時給20S$」でした。このアルバイトが募集されているならニーズがあるわけで、アルバイトではなく自分でできそうだ。

自分でやれば働く時間もお休みもコントロールできる。学生時代7年間、個人塾で講師のアルバイトをしていました。イメージはつく。

在庫不要!負債0!移動コスト0!好立地自宅開講でテナント不要!
シンガポール駐在家庭は教育費予算が比較的高い。女性講師は安心感が高い。学習塾は子供が通いさえすればチャーンはほとんどしない。

さっそくビジネスライセンスの取得方法を調べて個人事業主登録。
Jimdoで簡易ホームページを無料で作成して、日本人向けフリーペーパーに1枠15S$で2回広告出稿。
『4人の少人数制指導!内容はなんでもOK!1時間20S$!』
すぐに稼働可能枠は全て埋まり生徒50名。

環境が整いました。
主人が起きる前に早朝ヨガにいき、帰宅後起こしてお弁当を作り、いってらっしゃいをして、友達と習い事やランチを楽しむ。放課後から20時まで塾開講。夕食準備しておかえりなさい。主人が夕食いらない日は私はお友達と食事におでかけ。

ビジョン/ミッション/バリューを掲げたことで、私はぶれることなくぐれることなく稼いで遊んで3年間駐妻職をやり遂げました。
逞しさが取り柄です。

あれから、妻として母としてバックオフィスとして、私はこっそり自分のビジョン/ミッション/バリューを設定しています。

どうなるかわからないことに思い悩むことはやめた。

目の前の課題をひとつずつクリアして、次に出産について考えるようになりました。
赴任が終わって帰国してから、就職1年後に妊娠出産するのはどうか。出産して帰国したらいよいよ会社員復帰なんてもうできないかもしれない。
就職できるのか?妊娠できるのか?

考えてわかったことは、考えても正解はわからないということと、機会は逃してはいけないということでした。

やってみないとわからないし、なるようにしかならないし、なんとかする。自分で決めたことだから、どうなっても受け入れて楽しむのみ。絶対に悲観的にならない。

そしてシンガポールで不妊治療をしました。無事妊娠し、そして帰任。

初めての子育てはそれはそれはとても大変でした。辛かった。抜け出したかった。だからどうすれば抜け出せられるかを考えました。
イライラしないと決める。そしてアドレナリンがでることをする。
私の理想の生活に今足りていないことを探して、試して、ひとつずつ埋めていく作業。
私には仕事が必要という結論にたどり着きました。きっといつまでも仕事をしたいと思い続ける。だから早く探そう。仕事の内容は何でもいい。誰かと仕事がしたい。

そのためには、とりあえず保育園をみつけないといけませんでした。

仕事がしたかったから。仕事を手に入れるためにできそうなことは何でもした

保育園に入るためには就労証明が必要でした。個人事業主になり売上を作るという策を取ることにしました。ランサーズで保険記事のライティングをしたり、ミシンで雑貨を製作して販売したり、賃貸物件の内覧案内をしたり、子供を背負いながらできそうなことをしました。

できることをただやるしか他に方法がありませんでした。誰かとチームで仕事をするという環境を手に入れたかったから。

私がSBOになったのは、他に選択肢がなかったからです
会社員を退職してブランク5年。子持ち専業主婦、しかも妊婦33歳。スキルもキャリアも知識も何もない私に「経理のパートやりませんか」と、シンガポールで知り合った方が声をかけてくださいました。塾を開いたことが就職につながりました。
妊婦だけど経理やったことないけどやります!ノーチョイス!!

こうしてスタートアップという単語を知らなかった私が、スタートアップでバックオフィスという仕事と、ともこさんという名前と、チームを手に入れました。

仕事は手に入れた。でも私が求めているのと違った。だからできそうなことを何でもした。

5年のブランクを経て会社員復帰を達成しました。でも、私が求めていた「チームで仕事」という環境ではありませんでした。私にはチームに貢献できることが何もなかったんです。
だから誰よりも早く出勤して掃除をして、とにかく毎日元気に挨拶をしました。本当にそれくらいしかできることがありませんでした。みんながやらなくて私にできることがないかを、毎日必死に探していました。
IKEAに家具を買いに行って組み立てる、電話線を床に張り巡らす、できることはなんだってしました。
私もチームに貢献できる一員になりたい。
士業の方、年金事務所ハローワーク、税務署、役所、銀行、友人に何度聞いたか「すみませんわからないので教えてください」。そうするしか他に方法が思いつきませんでした。一から勉強してる時間はもう私にはない。「わからない」「できません」なんて社内に絶対に言えない。
こうして目の前にある私にできそうなことをひとつずつ必死にやってきました。

幸い、何もできない私に挑戦する機会を与えてくれる経営者の方々に出会い、いろんなことを経験させていただきました。

こうして今は、チームで仕事をするという環境を手に入れられたと思います。

そしてSBOになりました。
スーパー馬力のあるおかんに。


今でも、私にできそうなことをとりあえず必死にやる毎日です。新しいことへの挑戦の連続。みんな優秀すぎて私だけ異次元にいるような気になることもあるけれど、仕事に真剣なメンバーに少しでも貢献できるように毎日毎日必死のパッチ。
一生こんな感じなのかもしれない。それも悪くない。毎日とっても楽しいから。


キャリアが中断しても経験は無駄にならない。家庭を優先しても仕事は両立できる。時に逆境に見舞われても悲観的にならなくていい。環境はきっと作れるから。人生楽しんだもん勝ち!

おしまい。

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