川端康成=「誰か」とは「誰でもいい」のか?
ニーチェ「ルサンチマン」という「孤児根性」
小林秀雄が「真実とは常に、それが正確であれば正確な程、荒唐無稽と見える」(小林秀雄全集 第一巻 新潮社 p62)というが三島由紀夫「金閣寺」の主人公=「相対性の波にうづもれた男」は絶対的存在と美への憧れを自らが所持し「完全無欠、何人にも負けず、弱点の一つもない人間」=絶対者、強者たらんが為に他者が絶対性(完全性 例えば幸福や美しきもの)を所持していると感じた時には「金閣がその美をいつわって、何か別のものに化けているのではないか」と「未知の仮装でもってわれわれをあざむいている現実」への不信を抱く。自らが「幸福に化身しようとしていたのに」いたるところに現われ、偽の美でもって「人の目をたぶらかし」、「ありうべき自分」の人生の幸福を邪魔すると考える。弱虫は「幸福に傷つけられ」「綿で怪我をする」からだ。(太宰治「人間失格」)
参考文献 三島由紀夫 「金閣寺」、「金閣寺ノート」、」
結果的にそんな絶対的存在=金閣を除去することを「おれの正義だ」と正当化するようになる。現実の「金閣」が「虚ろな」内実を伴わない「無」とされ、『中に暗い冷ややかな闇』を抱え込んだ「虚無」という心の闇の変容体こそが「美の構造』=「さまざまのメタファーを受けいれる空の器」として機能する。こうして自身の希望する観念的理想像が「心象の金閣」として心の空洞を満たす。つまり、自らが絶対者=「ニヒリスト」として「根底的に何一つ信ぜず」他者性=絶対者とは「完全にニセ物」であると不信を表明しながら「虚無」においてドッペルゲンガー=「ありうべき自分」を追求する。このように「何事も可能なり」を貫くニーチェの超人物語、それが三島由紀夫の「金閣寺」父と死に別れ、母の期待にも添えず「ふるさと」帰る家を失った「思い出を病む病気」(フロイト ヒステリー研究)により「乳房が金閣に変貌したのである。」である。 参考文献 平野啓一郎 「金閣寺論」;久保田裕子 模型という比喩in三島由紀夫研究6;
川端康成 掌の小説「日向」in日本近代文学大系 第42巻 川端康成・横光利一集 角川書店 1981;三島由紀夫「金閣寺」「金閣寺ノート」
プラトニズムの転倒=ニーチェの超人
幼少期に両親、祖父母と姉と立て続けに親族を失い天涯孤独となった16歳の川端康成も「失われていく」祖父を「失いたくなかった」。(川端康成「16歳の日記」)川端康成の解析する「私が頼めば誰でもなんでも聞いてくれると思う甘さ」=トンネルという空洞を越えるとそこは雪国、虚無から光が生じるのだ。(川端康成 「文学的自叙伝」in一草一花 講談社文芸文庫)このように「忘却の穴」(ハンナ・アーレント 全体主義の起源3)=上記、久保田の分析する「さまざまなメタファーを受けいれる空の器」に「観念を投影するためには、何よりもそれが中身や実態を欠いた空白でなくてはならない」のだ。(「三島由紀夫研究6号 金閣寺特集」)川端作品にはこのように絶対的=人工的美の追求を極めた三島由紀夫との類似性が感じられるが、忘却したい現実を消去するブラックホール=「忘却の穴」とはマルクスの「命がけの飛躍」を可能にする場=「戦場」(フロイト 精神分析入門)そして「孤児根性」が生む川端の「をさな心の歌」なのだ。(川端康成 「文学的自叙伝」)小林秀雄はこのような「をさな心の歌」=「孤児根性」が「童話といふ言葉が独特な形で育って来る土台」であり、16歳の川端康成にとって「童話の国は、天上にあるのではない。大人の認識の果てにあり、彼方にあるのではなく、寧ろこちら側にあるのである。」とプラトニズムの転倒したニーチェの超人思想こそが川端の心であると分析している。(小林秀雄 川端康成 in 小林秀雄全集 第七巻 歴史と文学 新潮社版 p275-6)
祖父の面影を綴る日記が「100枚になれば祖父は助かる」のではないか?と川端は願った。祖父が放尿の痛みをこらえているのを見るのは辛く、16才の川端もしびんに放尿を取るのは苦痛でしかなかった。「汚れから逃れようと骨を折って」不快な記憶を希望へと昇華させた。しびんに「チンチンと清らか」な尿の音は「谷川の清水の音」と美に転じる。「長く高いうめき声。五月雨の降る夜」苦しみを幻想へ,醜を美へ、悪を善へと昇華させる執着心、それが川端作品に流れる力強いエネルギーと言える。(川端康成 「16歳の日記」in 伊豆の踊子 温泉宿 岩波文庫;伊藤整 作家論 筑摩書房 1961、p209)
この「16歳の日記」には未発表の旧稿が存在する、そこでは「ああ、祖父の命は長くない、この原稿の終わるまでは続くまい…日記の筆を止めて、茫然と祖父死後のことを考える。ああ不幸なるわが身、天にも地にもただひとりになる。」と少年の悲痛な「現実的」リアルな悲しみが描かれている。川端はしかしこの原稿を発表しなかった。その理由を川端は「真実や現実」を「知ろうとも、近づこうとも志したことはなく」「偽りの夢」に遊んでいたいからだと主張している。(川端康成 「文学的自叙伝」)伊藤整はそのような「醜の最後まで見落とさずにいて、その最後に行きつくまでに必ず一片の清い美しいものを掴み、その醜に復讐せずにはやまない」川端の「逞しい力」とは彼のその「おさな心」に由来するものであるとし、「作者の生来のものの現われ」こそが「氏の生ま生ましい叙情の生れるゆえんなのである。作家の虚無感というものは、ここまで来ないうちは、本物とはいへないので、やがてさめねばならぬ夢に過ぎないのである。」
参考文献 川端康成 「16歳の日記」in 伊豆の踊子 温泉宿 岩波文庫 あとがき;伊藤整 作家論 筑摩書房 1961;小林秀雄 作家の虚無感-川端康成の『火の枕』in 森本獲 魔界の住人 川端康成 上巻 勉誠出版 2014
「暗いトンネルにはいると、冷たいしずくがぽたぽたと落ちていた。南伊豆への出口が前方に小さく明るんでいた。」(伊豆の踊子§1)
「ととんとんとん、激しい雨の音の遠くに太鼓の響きがかすかに生まれた」(伊豆の踊子§2)「ほの暗い湯殿の奥から、突然裸の女」(伊豆の踊子§3)
「真裸のまま日の光の中に飛び出し、爪先で背いっぱいに伸び上がるほどに子供」らの「単純で明けっ放しな響き」を持つ物言い、「野の匂ひがある正直な行為」に触れ「私は心に清水を感じ」心が洗い流されて行った
参考文献 川端康成 湯の島での思い出in少年第14章 川端康成全集 第10巻 新潮社 1980;川端康成 伊豆の踊子 §3、4、5
デカルトの悪霊
このように醜=真実を直視できない川端の「汚れからのがれようと骨を折って」美しいもので醜を隠そうとする幼児期からの人並みはずれた強い執着」こそが川端の小説家としての才能であり人間的「弱点」でもある。(伊藤整 作家論)小説「伊豆の踊子」は「孤児根性」からくる自我の喪失と自己の回復がテーマである。(「伊豆の踊子」)したがって「伊豆の踊子」のストーリー内においても喪失された自我は「事実そのままで虚構はない」と主張したかと思うと「虚構も事実と自分で思うようになったところは、果たしていささかもないのか。」と心理的分裂の症候を見せる。(川端康成 「伊豆の踊子の作者」)川端は実際、「伊豆の踊子」の小説のモデルとなった実在の兄夫婦の真実「病のことを明かすか、隠すか」ついに書こうとするも夜が明けてしまいを繰り返し何日も書けなかったのだという。「書けば後悔するだろうが、書かなければ、これからも腫物に追われ続けて」頭痛がするだろう。また「雪国」においても「読者に事実と受け取られるところが案外作者の空想で在ったり、空想と受け取られるところが案外事実であったりするのかもしれない」などと二重性を告白する。(川端康成 「文学的自叙伝」)「トンネルを抜けると雪国」つまりトンネルの向こうが幻想でこっちが現実。しかし「雪国」の読者がありありと心に思い描くことができるのはトンネルの向こうの温泉宿の世界(虚)でトンネルの手前はあたかも死んだような世界(現実)ではなかろうか。
参考文献 川端康成 雪国あとがき in一草一花 講談社文芸文庫;川端康成 伊豆の踊子の作者 in一草一花;川端康成 「伊豆の踊子」の映画化に際し
川端作品には「ほんとうは分かりません。しかし自分では、そうではなかったと言うことも出来ません」とか「嘘ばかりついていたろう。そして今頃は、嘘を書いていたことを忘れていたろう。」などの台詞が多いのだ。(川端康成 散りぬるを)「水月」の京子が病気で外を見られない夫と楽しんだ外の世界(現実)とは「手鏡を通して」の虚構世界;野の花、渡り鳥、我が子どもたち。そして鏡の中の世界を二人はいつしか真実の世界だとであると思い始めてしまっていた。(「水月」)このような真実と虚構の境界の曖昧性を中島隆博は「『これはこう』と言った途端にそうでなくなる」捉えどころのなさとして川端作品の特徴と捉えている。「被告だって小説をしゃべらされたんだ。警察にお前はこうしたと言われるとそうのような気がする、そうでないと否定が出来ない、そのうちにそうだという(頭が出来てしまう。)と言っているのは、調書のなかで一番確かなほんとうだろう」(川端康成 散りぬるを)
参考文献 中島隆博 東京大学大学院総合文化研究科・教養学部附属 共生のための国際哲学研究センター 報告「川端康成と水」 2018.04.20;
これがデカルト的悪霊と闘い続けた最終結論と言えるのかもしれない。こうかもしれないしああかもしれない。とどのつまり、このように迷っている自分の存在だけが最もほんとうと言えるのかもしれない。「リアルが空想に思われ」「空想と見えるところも案外写生がもとになっている」また反対に「写生に念を入れると却って空想かと取られる場合もある」(川端康成 雪国あとがき in一草一花)伊藤整は「ひとつの表現のなかに二重に」表現される真実と美(虚)の交錯こそが川端康成の分裂的特徴であると論じ、小谷野敦は彼を「双面の人」と呼ぶ。
参考文献
伊藤整 作家論 筑摩書房 1961
小谷野敦 川端康成伝-双面の人 中央公論新社 2013
三島由紀夫が自害までして日本国民に訴えたかったことは何であろうか。三島でさえ指摘せざるを得なかった川端の造形的、人工的傾向(三島由紀夫 横光利一と川端康成in三島由紀夫全集28巻 決定版 2003)とは川端作品だけに特異な特徴であろうか。
「こう」いうのだから「こう」、「ああ」言われるので「ああ」かのように鏡的に生きる森鴎外の分析した「借物」世界=日本の和においては「こう」にも「ああ」にも「さくら」=偽客=「見せかけ」が真を曖昧に美しく見せる国=日本とは「表面」=見た目を重んじるコジェーヴのいうスノッブの国。ドイツの哲学者マルクス・ガブリエルが日本とは何もない空洞であり、あるとすれば「クレイジーな混沌」を「日本に『関するイメージ』」で覆い隠している「『メタ』日本」だけ。安部公房の命名する「さくら」の国、ロラン・バルトが描写するような折り紙の重ね箱のような「空洞」社会=フェイク社会、ラカンやアーレントの批判するような何でもありの「穴」の国とは鴎外のいう「あそび」の国=真実の曖昧な不思議な和ンダーランドが川端であり日本ではあるまいか。
参考文献
丸山俊一 マルクス・ガブリエル 欲望の時代を哲学するNHK出版新書 2018
ヘーゲル:我は我ならずして我なり
このような「建前」を大切に綺麗に生きることを良しとする国=日本「人」川端康成にもこのように「自分を綺麗にして置きたい心」があり川端は「決して人を憎んだり怒ったりすることの出来ない人間」であったそうだ。伊藤整はしかしながら川端の「善なるものと美なるものへの偏向の著しいこと」に「不気味さ」を感ずる程だと言っている。幼少期に立てつづけに親族を喪失し続けた川端自身も「自分の性質が孤児根性で歪んでいる」と自己を分析しているが「伊豆の踊子」の主人公「20歳の私」によるとその根性は川端自身が「幼い時に親や家を失って他家に厄介になっていた頃に、私は人の顔色ばかり読んでいた」ゆえ「かうなつたのではなかろうか」その自己発見と癒しの旅が伊豆への旅なのである。
参考文献
川端康成 掌の小説「日向」in日本近代文学大系 第42巻 川端康成・横光利一集 角川書店 1981;川端康成 文学的自叙伝in一草一花;伊藤聖 川端康成 in 作家論;三島由紀夫 in川端康成 眠れる美女 あとがき
「いい人ね」「ほんとうにいい人ね。いい人はいいね」「いい人だと、踊り子が言って、兄嫁が肯った、一言が私の心にぽたりと清々しく落ちかかった、いい人かと思った。さうだ、いい人だと自分に答えた。」「世間尋常の意味で自分がいい人に見えることは、言いやうなく有難いのだった。」「私自身も自身をいい人だと素直に感じることが出来た。晴れ晴れと目を挙げて明るい山々をながめた。まぶたの裏がかすかに傷んだ」僕は「いい人なのだ」僕は他者承認を通して「いい人」になる。伊藤聖は川端康成の作品とは「枕草子」~泉鏡花を経て完成された日本における「心理小説」の到達点であると言う。
参考文献
川端康成 「伊豆の踊子」;川端康成 湯の島での思い出in少年第14章 川端康成全集 第10巻;伊藤整 作家論
小林秀雄は川端康成のそのような人格をして「がらんどう」の人と呼ぶ;「氏の胸底は、実につめたく、がらんどうなのであって、実に珍重すべきがらんどうだと僕はいつも思っている。氏はほとんど自分では生きていない。他人の生命が、このがらんどうの中を、一種の光をあげて通過する。だから氏は生きている。」川端の崩壊している自己同一性は他者と融合一体化する以外に存在しえない。そんな川端の「一人称性」を佐伯彰一は「川端の小説をつらぬく根性の特色」でありそれも「閉ざされた一人称ではなく、開かれたそれ」だと言っている。そんな「受動的で透明な」一人称的「媒体」が他者性と「溶融や合体」を繰り返す「場といった抽象性」即ち「人工的」文学を通して川端は「過ぎた日の幻」を「消しに来ている」のだと佐伯は説明している。
参考文献
小林秀雄 作家の虚無感-川端康成の『火の枕』in 森本獲 魔界の住人 川端康成 上巻 勉誠出版 2014;佐伯彰一 日本近代文学大系 第42巻 川端康成・横光利一集 解説 角川書店 1981
川端という心が空虚な器とは他者に好かれるためには何でも自身の器に投入を許し「関係への憧れ」を原動力に行動する。従って、「陳述がその度毎に多少ともちがう」(川端康成「散りぬるを」)のも致し方がないことなのだろう。「人に尻尾を掴ませぬ」「自分を人前に出さぬ」「軟体動物から生きる知恵」(中村光夫)をもつ「奇術師」(小林秀雄)川端にはこのように様々な批評や命名がなされているものの川端は「人がなんと名づけようと知ったことではない」「私は人を化かさうがために、『奇術』を弄んでいるわけではない。胸の嘆きとか弱く戦っている現れに過ぎぬ。」と自身の孤児根性を「をさな心の歌」=小説でもって昇華しようとしているのだと自身について説明している。
参考文献
川端康成「末期の眼」in小林秀雄全集 新潮社;小林秀雄 川端康成 in 小林秀雄全集 第七巻 歴史と文学 新潮社版;中村光夫 「川端康成」 in「現代作家論」新潮社;川端康成 「文学的自叙伝」in一草一花
踊り子たちとの「旅」という非現実性が現実を、没我より非我を通し自我を、非人称性を通して一人称性の確立を、否定的媒介を経て他者から区別される自分を、蔑まれる身分の踊子たち=「あんな者」vs東大生の「旦那様」=川端という差別を通して同一性を見出したのだ。川端康成は自身の孤児根性をヘーゲル的主人と奴隷の弁証法的精神の発展、自己ならざる自己を通して自己を確立し、「我は、我ならずして、我なり」と悟らざるを得なかった川端は「永遠の旅人」=ジプシーなのである。(三島由紀夫 「永遠の旅人―川端康成氏の人と作品」 in三島由紀夫全集29巻 決定版 2003
普遍性という暴力
このように虚「無」とは他我との「関係への憧れ」を通してしか理想を叶えることのできない神話物語でしかないのだ。「空」=他者とは川端康成によると自身の分身、自身の延長線、「わがもの」「私が頼めば誰でもなんでも聞いてくれると思う甘さ」(川端康成 「文学的自叙伝」in一草一花 講談社文芸文庫)自身の幸せのための容器=身体でしかない。川端康成が描いた作品「片腕」においては川端に右腕を差し出した娘は川端となる。「寸断された身体」(ラカン、クリステヴァ)という部分性の操作により、「見るもの」(私の右腕)と「見えるもの」(娘の右腕)が交換される。私が見る(思う)あなたは私であり、あなたが見る(思う)私はあなたでしかないとメルロ=ポンティが指摘する様に鏡像転換される鏡の居城が川端作品の可逆性。三島由紀夫はこう説明する。私の腕は私の腕、あなたの腕はあなたの腕、これを互いに尊重できる人間であれば常態での人間関係で満足していただろうと。(川端康成 眠れる美女 新潮文庫 三島由紀夫あとがき)しかし、あなたの腕は私の腕、他者を部分として、自身の自己愛=観念の投影でしか見ることができない人間はそのような「関係」を憧れずしては自己を保てない。鹿を馬と言わなければ秦の始皇帝の側近であった趙高により処刑される。「馬でございます」と彼に同調したものだけが権力を手に入れるが、彼らは「馬鹿」と呼ばれるようになった。フーコーはこのような馬鹿=非存在を「その空虚さの中において言語の無際限な溢出が休みなく遂行される非存在」として「外の思考」で論じている。
真実=「鹿」であり自身の「右腕」を疎むようになるから「馬鹿」なのだ。「ふと目がさめると、不気味なものが横腹にさわっていたのだ。私の右腕だ。」(「片腕」)この完全性の美のマジックの邪魔物=自身の右手=真実=馬であり真の自分=見たくない「部分」を他者に投影し責任を押し付け省みることを必死に避けてきたというのにその自身の「右腕」の存在が、眼の前にある、これを何としてでも排除せねばならない。崩壊の危機でしかないからだ。「水月」の京子は問う。なぜ神は自分の顔は鏡に映さねば見えないように創ったのだろうか。「自分の顔が見えたら、気でも狂うのかしら。なんにも出来なくなるのかしら。」(「水月」)
「娘の右腕を私の右腕とつけかえたりしたら、母体の娘は異様な苦痛におそわれそうにも、私には思えた。」しかし、「母体(娘の身体)を離れてきた片腕は、その娘とちがって、自由なのではないか。またこれこそ身をまかせたといもので、片腕は自制も責任も悔恨もなくて、なんでもできるのではないか。」(「片腕」)「目の前に欲望の対象がいながら、その欲望の対象が意志を以てこちらへ立ち向かってくることを回避し」ながら(「眠れる美女」三島由紀夫あとがき)自分の右腕を肩からはづして娘の右腕を肩につけかへた。「これはもうもらっておこう」そして転換、交換された私と川端の右腕は拒絶反応を経てだんだん「血が通う」存在となり自身が「もらっておこう」とつぶやいたことさえも「気がつかなかった」。そして次第に、自己と他者の差異は消え失せた。そしてそのことさえも「私にはわからなかった」(「片腕」)
川端の「片腕」はこのような他者性の暴力を警戒し「指環をはめておきますわ。あたしの腕ですというしるしにね。」指環という自己のしるしは残しておいたのだが他者性は抹消され一体性の暴力が完了、彼女はいなくなった、しかし、同時に私も「いなくなった」自分でない者になった。谷崎潤一郎の女性の足へのフェティシズム(物神崇拝)も有名であるが、川端は女性の右腕=余計な「物を言わない」自らの女の理想像を通して他者との一体性を感じる。女性の右腕は話しをし、まるで生きている他者のように「私」好みにふるまってくれ、なぜかいつも「私」と意見が似ており、共感してくれて、「私」の望む状況を常に構成してくれる、都合の良い、夢のような存在、しかしそれは「部分」=「道具」=寸断された身体、自らの理想=分身にすぎず、自立、自律した他者性では全くない。三島が指摘する様に川端の理想とは「あくまで実在と観念の一致を企むところに陶酔を見出して」他者性の実在を無視してでも自身の観念に実在を一致させるところにある。つまり「老人にゆるされるいちばんのわがままは」「老い」の弱みを感じさせられることなく裸でただただ添い寝してくれて「力がうばわれていてさからわな」い「仏の化身」たる娘が「余計な物を言わず」「眠っていること」。(川端康成「眠れる美女」)三島にかつてこれほど「反人間主義」そして「邪悪」な作品を読んだことがないと言わしめた川端はそれでも「眠れる美女の家」(1960)に「悪はありません」と言い張るのである。(「散りぬるを」「眠れる美女」三島由紀夫あとがき)美女の他者性を完全に消去した声を奪われた「仏」のような他者との普遍的一体感、それが川端康成「眠れる美女」の空間である。
「神の国」
自分の思い通り、切ったり貼ったりできる川端の「片腕」、都合のよい「眠れる美女」や「死人に口なし」の死人の「骨」。これら川端作品のテーマ「空の容器」=「相手が眠っている…理想的な状態」=「死」に自身の観念的理想を投入し遊ぶプロ、これが川端である。「生きていることは、なんとでも言えることだ。」「死人に口なしを幸い、やっとお前は自分に都合のいいことを書けるのだ」人間も骨となっては「どっちがどっちの骨だか」分からないので蔦子の骨と滝子の骨は交換可能。生者の独断で言ったもん勝ち。こっちにもあっちにもなる。「こっちが蔦子ですな」「すべて私の独断」。「骨」=「死」という「無」「言」の「空」「間」=関係性の「場」(プラトンはこれを「コーラ」と呼ぶ)において「まるっきりちがった人間が、そっくりおなじになってしまいました」(川端康成「骨」)西田幾多郎も分析した普遍性と呼ばれる暴力においては蔦子は滝子、滝子は蔦子となるが、そんなことは川端にとってはどっちでもいいのだ。三島由紀夫は「散りぬるを」の解説においてこのように「死体」に「生命」を再投入し死体に改められた生命を吹き込む川端の想像力は「人間わざ」を越えていると表現している。(川端康成 散りぬるをin眠れる美女 三島由紀夫あとがき)
つまり、他者とはラカンがいうように都合の良い自己愛の入れ物=ピグマリオン、もはや知覚する存在としての人称性を排除された「仏」であり「神」。我々は他者を「知覚する存在」として認識したくないばかりか他者の「全体を要求していない」。というのも「全体よりも部分」匂い、顔、足、手…「関係性」の組み合わせを通してしか創造的完成体=神仏はもたらされないからだ。(川端康成 眠れる美女)フッサールの分析する間主観的関係における自己愛のための他者性の「死」は他者を自分の仏とし神とする。「他」」の人称性や人格を抹消し自己に同一化させようとする「同」の絶対者的暴力としてレヴィナスの嘆いた他者性の所有とは三人称性の抹消=他者性の「殺人」をもっての「死」=一人称化「世界はひとつ」=「和」をもって完遂する。他者とは「仏」であり「神」=「私が頼めば誰でもなんでも聞いてくれると思う甘さ」これが川端作品であり「神の国」なのだ。
「子どものように神の国を受けいれる者でなければ、決してそこにはいることはできません」(マルコ10章15-16節)
果たして「神の国」で川端は平安を得られたのだろうか?
「水に流す」
「何もかもがひとつにとけ合って感じられた。」「船室の洋燈(ランプ)が消え」「まっ暗ななかで学生マントの中にもぐり込」み「少年の体温に温まりながら、私は涙を出まかせにしていた。頭が澄んだ水になってしまっていて、それがぽろぽろこぼれ」もう「泣いているのを見られても平気だった。」私は交換していた栄吉の烏打ち帽を脱いで栄吉本人の頭にかぶせ、そして「カバンの中から学校の制帽を出して」自身の帽子を着用した。(川端康成 伊豆の踊子§7)
川端自身、たとえ醜く受け入れ難い真実であっても「自分の腕は自分の腕」、他者への羨望を抱いた時でも「自分の帽子は自分の帽子」と受け入れられた時に平安は得られるもののだと分かっていたのだ。真実を「人工的に保存する工夫を覚えだした時から、人間の不幸がはじまったような気がする」(川端康成「散りぬるを」)しかしながら、真実とはなかなか美しいものでもない。我々は皆「今昔物語」の平中のように恋する女性の排泄物でも見て「あばたもえくぼ」と呼ばれる盲目な恋を冷めた目で見るべく努力すべきなのか、若しくは恋する女性の排泄物など見ないでさっさと水に流すべきなのか。(平中が本院の侍従に恋する物語 in今昔物語)(川端康成 眠れる美女 新潮文庫 三島由紀夫あとがきp245)
「心をひとつに」という普遍の「神の国」において蔦子と滝子はどっちがどっちでもどうでもよいとされ、それを「神」や「仏」と呼ぶとは上述の通りだ。ひとが苦しみを「水に流す」時には僕が彼を温めているのか、彼が僕を温めているのか?その区別はどうでもいいこと。温めてくれた「誰か」との「一体感」がもたらす温もりが必要であるからだ。(メルロ=ポンティ、坂恵 参照)「船のなかのことは書いた通りだったと私は思うが、この人はどうおぼえていてくれるのだろうか。」文学碑除幕式でドッキリの再会を果たしたこの学生マントで温めてくれた少年と川端は話すらあまりしなかったとのこと。「伊豆の踊子」のどこまでが真実でどこからが虚構なのか川端にとってはどうでもよいことなのだ。もし少年が「川端さん、ここ違いますよ」と物語に訂正を訴えたならば「そうかもしれない」、そして「伊豆の踊子」のエンディングは変わっていたかもしれない。そしてその除幕式での少年が本物なのか否かも川端にとってはどうでも良いことなのだ。川端にとって大切だったのは「誰か」の「温もり」その「誰か」との「一体感」。もし複数の少年が名乗りを上げて来ても「どっちがどっちかわかりませんね。」で終わったかもしれない。「誰か」という抽象性は暴力にもなり得、そして「誰か」の愛その普遍性は同時に人を癒す。ベートーヴェン「運命」の一糸乱れぬオーケストラ演奏を聴いた時、恐怖に鳥肌が立ち、感動に泣いた。
参考文献
川端康成 伊豆の踊子の作者 in 一草一花 講談社文芸文庫; 川端康成 雪国あとがき in一草一花 講談社文芸文庫;川端康成 湯の島での思い出in少年第14章 川端康成全集 第10巻 新潮社 1980
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