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グラフィックファシリテーションが表す「視点」と「場の土台」

「4月21日晴れ。テレワークをしながらふと窓の外を見ると、隣家のゆらめく洗濯物とどんどん伸びていく樹木の枝の端っこが見えてくる。そんなとき春っぽさから、初夏に移るような、季節の変わり目を感じて、嬉しいなあって思ったんです」

あなたは、とある会議のグラフィックファシリテーションの描き手になった。その場で、こんな誰かの何気ない会話を他の人にも共有し会話を膨らませていくとき、ここからどんな言葉をつまんだり、考えて描くだろうか。

オンラインこその幅を広げることができた約1年

この4〜5年ほど、個人でも会社でも、グラフィックレコーディングやグラフィックファシリテーションの活動は(頭の容量が一時的にとても必要になる意味合いでも)結構な割合を占めている。

グラフィックレコーディングは、文字や図などを用いて人々の対話や議論をグラフィカルに可視化する手法を指す。(注釈:本文ではグラフィックレコーディングも含めたグラフィックを活用した場の活性化とそのフィードバックサイクルづくりをグラフィックファシリテーションとして位置づけています)

同好会として4名でスタートし、今では社内外でガシガシ活動する会社のグラレコ部でも、デザイナーとして所属するINFOBAHN DESIGN LAB.(IDL)でも、案件だけでなくイベント時などにコンテンツとして利用したり、会社のインナーコミュニケーションの1つとしてグラフィックレコーディングを行ったりしている。

この1年、活動はオンラインが主というかほぼ100%だったが、模造紙ではできるけど、タブレットでは全然できない!という制限を感じることはあまりない。むしろ、無限のスペースが広がっていることや参加者からフィードバックをもらうことのスピード感の早さだったりと、新たな可能性を感じることの方が多かった。

これからの1年は、オンラインとオフラインのハイブリッドをどう生み出せるか試行錯誤してみたいと、チームメンバーとあれやこれや計画している最中だ。

「対話の土台を描く」という行為

さて、自己紹介的に活動してきた様子を書いてみたが、改めてこれらをやることの意義について考えていきたい。

冒頭、こんなことを書いた。

「4月21日晴れ。テレワークをしながらふと窓の外を見ると、隣家のゆらめく洗濯物とどんどん伸びていく樹木の枝の端っこが見えてくる。そんなとき春っぽさから、初夏に移るような、季節の変わり目を感じて、嬉しいなあって思ったんです」。
あなたは、とある会議のグラフィックファシリテーションの描き手になった。その場で、こんな誰かの何気ない会話を他の人にも共有し会話を膨らませていくとき、ここからどんな言葉をつまんだり、考えて描くだろうか。

上記の文章はこのエントリの初版を書いている2021年4月21日午後にほんの数秒で思ったことなのだが、私だったら多分…というものを描いてみた。

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(今回は「春→初夏」「季節の変わり目を感じた」「嬉しさ」の元となる季節の違いを大きく取り上げ、その要素が何であるかを左右に記載)

ここまでこの文章を読んだみなさんは、どんな視点でピックアップしただろう。そこにどんな違いがあっただろうか。

例えば、嬉しさという感情を中心に表現することもできるし、テレワークをしているという状況から外を見るという気分転換の様子を現すこともできるだろう。

グラフィックレコーディング・グラフィックファシリテーションを導入することで得られるものは、場の文脈を可視化することだけでない。

最近特に強く感じるのは「会話を客観視できる状態が生み出され、対話の土台が生み出される」点だ。

例えば上に描かれたものの本意は描いた本人、もっというとそれを喋った本人しかわからないが、それを見た人々は、内容を「そんな状況があるんだな」と個々人の視点で解釈し、それに自分の意見や思いを乗せながら、会話を重ねていくことができるようになる。それがどんどん膨らみ、場が描き出されていく。

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(「会話を客観視できる状態が生み出され、対話の土台が生み出される」とはつまり、そこで描かれたものを通じて、その場(の会話)を客観的に見ることができる状態を作ることだ)

さらに、提示されているテーマや問いに対してさまざまな人がより入り込みやすくなる土台(それは会話でかもしれないし、文章にすること、絵で描くことかもしれない)も生み出していく。

描かれたものはあくまでも話し手の会話を描き手が解釈し、それを1つの表現として伝える「中間生成物(プロトタイプ)」であり、本当に重要なのは「そこに描かれたものを通じて参加者とすり合わせて、何かを形作る過程」とも言い換えられる。

さきほどの文章を読んでピックアップする流れで言えば、選びだした言葉の違い、表現する内容の違いなどたくさんある。その差異を認識しどう乗り越えていくか、そこが大事なのではないだろうか。

何かを伝えるために正確に、そして魅力的に表現する行為は重要だし、研鑽も必要で、毎度自分の力量の至らなさを感じて落ち込むことの方が多い(本当に)。

しかしそんな状況においても、描いたものに対する場での発言や議論をもとに、描き手も参加者もテーマに対する意識変容やアクションのチャンスが生まれる可能性を秘めていることが、自分をこの活動につなげ止めるものなのだと最近つとに感じている。

可視化と議論のサイクルで場を継ぐ

場に彩りを添えるものとして昇華されることなく、場を作り上げながら、さらに新しいステップを作っていく。そんなフィードバックループが生まれるとよいなと日々頭の片隅で考える。

何気なく話していたことが新しいアイデアを呼んで、まったく違うことを考え出すような、新たな場を創発することとも言えるかもしれない。

以前参加したイベントでは、セッションの内容をリアルタイムドキュメンテーション(主にテキストで場を表現する手法)とグラフィックレコーディングという2つの視点で可視化することを試みた。

・リアルタイムドキュメンテーション:各トークセッションやピッチで何が話されているかを即時に現す
・グラフィックレコーディング:トークセッションやピッチの内容を注目するポイントをピックアップしてまとめる

リアルタイムドキュメンテーションを挟むことで、即時にも後半からでも会話の流れを掴むことができ、より多くの人が場に参加出来たのではないかという実感を得た。

(詳しくはこちらにまとめています)

こういった可視化の手法は、普段使う会話で使う言語と同じように、現すためのツールの1つだ。今後も新しく得た言語を使って、多くの人と会話し、新しいものごとを作れるよう努力していきたいと思う。

(TOP:https://unsplash.com/ )

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