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土井善晴さんのことば

一人ゆうのは、厳しいんです。
ある意味で苦しみを伴う。
だけども、そこに食べる人が重なり合うことが、
ものすごく重要なんです。

「これがねぇ、家庭料理です」と、料理研究家は言う。食べる人が料理する人を気にかける、手伝う。「ちょっとだけ」でいい。それだけで「救われる」と。どんな仕事でも、みなのことを思い頑張っていても、してあたりまえと受けとられると、自分の存在が否定されたような気になる。


土井のオンライン講座「この秋の一汁一菜」から。
折々のことば(鷲田清一)2020.11.22朝日新聞朝刊


人間誰しも一人では生きていけない。

もともと、ホモ・サピエンスが生き残ったのも、物語という「共同主観」を介して、多くの人たちと協働することができたからだ。

そう考えると、何かをやろうとするとき、相手をパートナーとして、相棒として、心からの友人として、家族として、時間や空間を共有している、という感覚こそが、協働作業のやりがいである。そしてその積み重ねが、日々生きている幸福感につながるのだと思う。

例えば会社の経営者が、スタッフのことを、ただのコマ、便利だから使える、という発想で雇用していたとすれば、どんなに業績が良くても、給料が良くても、最終的には、誰もついてこないのではないだろうか。そういう経営者本人も、結局は寂しい人生を送ることになるだろう。

土井さんの素晴らしいところは、家庭料理という日々の営みの中に、そういった生きる核となるものを見つけ、大袈裟ではなく、おじいちゃんおばあちゃんから子どもまで、誰もがわかる言葉で示せることだ。

そういう肩の力の抜けた、優しい味の料理を作れるお母さんになりたい。

もはや長女は家から出て行ったし、一番下の子だってもう自分でご飯作れる年齢だけど、改めてそう感じた。

連休の中日、珍しく朝刊を開いて、ふと目に留まった記事だった。
なんか心がふわっと温かくなった。

みなさま、よい連休を。

*写真は、お世話になった方のご仏前に手を合わせに行った際、奥様が作ってくださったお手製の玉子焼。見た目も美しいのですが、お味も優しくて、なんか救われた気持ちになりました。

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