効率性から未来は見えない
ここんとこ3週間くらい、事業再構築補助金の交付申請に向けて書類を整えるのに苦心していました。
生産性を上げるために補助金を取るんですが、補助金申請の作業は本当に…。誤解を承知で申し上げると非生産的な作業の連続です(涙)
公金を使うので当然といえば当然ですが、「予定調和」にこだわるあまり、書類を整えるために書類を用意したり、人にお願いすることが多すぎて、ぐったりしてしてしまいました。
こういうのは人のやる気を削ぎますね。
小さな組織経営に携わってなんだかんだ20年くらい経つのですが、こういった作業はいくらやっても慣れることがないです。
これは何かに似てるな、と思ったのは受験勉強。
答えは1つ、それ以外は不可。
ファジーなものは却下。
無駄は一切なし。
答えが決まっていて、予定調和を求めるなら、偏差値教育は有効でしょうが、答えのない、どこに向かうかもわからないときには、この方法はどうなんだろう、と思ってしまいます。
「PDCAとかすぐ言うやつのPはだいたいつまらない。」
さきごろこんなコピーが話題になりましたね。
ようやくそんなことを言ってくれるコピーライターさんが出てきたなと思ってみていました。
物事が予定調和に進むときには、PDCAを回すのは有効だと思います。そこの効率をいかに上げるかが生産性につながるのは間違いない。
しかし、今のように調和すべき未来が見えにくい、不透明な場合は、PDCAを謳う前に、「そもそも」の、根本の見直しが必要なのではないでしょうか。
AIに真似できない人間の力
こういった膨大な事務処理を、朝から晩までやっている官僚の皆様や行政の皆様には、心の底から尊敬します。
でも、AIに任せるなら、こういった作業こそ、ふさわしいんじゃないのかな、とも思いまして。正確で、ファジーなし、無駄なし。
人間の利点は、ある意味、不正確(移り変わる、揺れる)、ファジー、無駄だと思うのです。
AIが優秀になったのなら、事務処理はAI さんにお任せして、今こそそういった力を最大限に発揮する時、なんじゃないでしょうか?
ITの遅れは取り戻せばいいですが、よその国に追いつけ追い越せをやっても意味がないような気がします。
日本独自のセンスや文化を、風土歴史、古典などから真摯に見直せば、新たな組み合わせが生まれてくるんじゃないだろうか。それを円滑に進めるために、 ITを道具として上手に利活用すればいい。
やっぱり教育から
そのためには偏差値主体の教育にメスを入れるしかないように思うんですよね。偏差値教育こそ、効率性の象徴に見えて仕方ありません。教育に効率を求めるのはかえって非効率だと思います。
答えが一つで予定調和、それぞれの子供たちが感じる前にすでに答えが用意されているような知識偏重・偏差値主体の教育では、自己肯定感とクリエイティビティを自分の中に深ーく沈めてしまっている子がたくさんいるんじゃないかと思います。それでは、せっかくの能力も発揮できずもったいない。
一方、教育現場で頑張っている先生もたくさんいらっしゃいます。
「未来は明るい」と思ったことも多々あります↓
上述の清水先生 対談↓
こういった教育が、どの学校でも当たり前という日が1日も早く来るといいな、と切に願います。
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書いているうちに、少しずつ雨も上がってきました。
蝉も様子を見ながら鳴き始めています。
さて、連休は何をして過ごそうかな。
何もしない無駄な連休もアリかもしれません(笑)