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ミシャさんの思い出

ここんとこ、折に触れて、ミシャ・メンゲルベルクと豊住芳三郎の「Untrammeled Traveler / 逍遥遊」を聴いている。

偶然ロングインタビューを目にして、また豊住さんが聴きたくなったからだ。

もうかれこれ20年以上前、海老名に住んでいた新婚当初、近所のよしみでよくご自宅にお邪魔したりして(本当に邪魔だったんじゃないかと思う 汗)、大変お世話になった。

そして阿部薫とのエピソードやシカゴでの生活、師匠である富樫さんのエピソードなど、当時のジャズシーンの匂いがぷんぷんしてくるような貴重なお話をたくさん伺った。

また、お手伝いと称して、貴重なライブも随分体験させていただいた。

中でも印象深かったのがピアニストのミシャ・メンゲルベルクさん。

オランダの由緒ある指揮者の家系に生まれてクラシックの英才教育を受けるも、途中からジャズに転向。

私は専門家ではないので、自分の印象でしかないが、インプロの世界ではまさに仙人級の凄い人なんじゃないだろうか。

ピアノを弾く姿も一風変わっていた。

学生がやると「行儀が悪い!」と怒られるような、おへそを天井に向ける勢いで斜めに椅子に座る。ピアノがわの椅子の脚が浮くんじゃないかというくらい斜めっていて、絶対に手に体重がかからないように見える。よくこんな姿勢で弾けるなーとそこですでに感心ひとしきりだった。

(後で専門家に聞いたら、ピアノって本来、絶対に指に体重が乗らないように弾くのがいいらしい)

その姿は、ピアノを弾くというより、仙人が岩山に座って瞑想しているように見える。

でも一旦弾きだすと、その音色は柔らかく鋭い。緩急も強弱も、何もかも自由自在、好きなように弾いているように見える。一切の束縛から解放されているようにも見えるし、自然の秩序に則っているようにも見える。

激しく弾きまくる時もあれば、ただじっとピアノの前に佇んでいるだけの時間もある。

とにかく、ピアノって楽器がこんなに「生き物」になっているのは初めて見たし、それを操っているミシャさん自身が、一体何に操られているのかさっぱりわからない。しまいに本当に指で弾いてるのかと疑いたくなるほど、身体のどこを使って弾いているのか全くわからない、不思議な演奏だった。

演奏以外のバックステージでも、印象に残っていることがいくつかある。

ある時、打ち上げで食事をご一緒していた時に、割り箸の箸袋に「君の知ってる俳句を書いてくれ」と言われたことがある。

「咳をしても一人」と書いたら、「なんて書いてあるの?」と言われたので、英語でなんて言ったらいいんだろう、と戸惑いながら

”When you cough,..." まで辛うじて英語にして考え込んでいたら

”Nobody knows." と返ってきた。

これには面食らった。よくわかるなーと思って感心していたら、あとでミシャさんは尾崎放哉や山頭火が好きなんだと知った。

また、静岡でお寿司をご一緒していた時。

ミシャさんは比較的ゆっくりと箸を運び、あまり多く召し上がらない。

その邪魔をするまいと思いながら、何か召し上がりますか?と聞いたら、”I’m waiting.” と返ってきた。

その時、これがミシャさんのスタイルなんだなと思った。

即興演奏のミュージシャンは結構弾きまくる方が多い。でも、ミシャさんはその中でも異色というか、比較的弾かないでじっと佇んでいる時間が多い。

ミシャさんは、その間、弾くのをやめているのではなく、じっと身体の中に次の音がやってくるのを待っているんなだと思った。だから、音のない空白も、彼にとっては演奏しているのと同じ感覚なんだと。

そのミシャさんも、2017年に亡くなったと聞いた。

もう一度生で演奏が聴きたかったけれど、それももう叶わない。

時折、こうしてCDを聴いてみると、あの佇まいや印象がいつまでも色褪せないどころか、その時に応じて、違う演奏に聞こえるのが不思議である。巨人の巨人たる所以か、と思う。




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