今日の一言!リーダーよりもフォロワーを。
「日本はリーダーが少ないっていうけれど、リーダーより、フォローしてくれる人が少ないんじゃないかって思う。」
この前、ふと長男が言った。
「次世代のリーダーを育成します」という触れ込みの大学は多々あるが、その実、日本に次世代のリーダーはどれほどいるのだろう。多くの大学が何年もそういった謳い文句を掲げているにもかかわらず、日本が一向に変わらないのは何故なのか。
そう思ったらしい。
この前高校を卒業したばかりの長男。
「取り敢えず」ができない彼は、進路に悩みながらも、結局大学受験の道を選ばなかった。
「これをやりたい、やるべきだ」が見つかるまで、その勉強をしようと心から思えるまで、いろいろな人に会い、経験を積んでみたいという。
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大学は遊びに行くところ、くらいにしか思えなかった自分。
長男からみれば、めちゃくちゃいい加減だったと反省ひとしきりである。
そのまま、既存のレールに「何故?」を感じることもなく、流れに身を委ねてしまった。
自分がいい加減なのは間違いないのだけれど、これもある意味、時代の変化とも言えるのかもしれない。
今は源平合戦の時代と同じくらい激動の時だという。東日本大震災を契機に、ここ30年くらいは8割方、大きな地震が起こるとも聞いた。
そんな時代に、「とりあえず」もへったくれもないのかもしれない。
大学4年間遊んで暮らしても、そのあとどんな仕事につけるか、世の中がどうなっているのか、わたしたちが学生だった1980〜90年代よりも明らかに不透明になっている。
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まさに「日本にはフォロワーがいない」と言われて久しい。
一方で、先見の明がありすぎて、一見狂っているかに見える人は、意外と街に溢れているのかもしれない。
それを面白がり、リーダーとして仕立て上げるのは、心の目が開かれている目利き、狂っている人の見ている未来に共鳴できるフォロワーなのではないだろうか。
そう考えると、才能を見つけ出し、それを楽しめる遊び心と美意識を持つフォロワーこそ、今教育機関で育てるべき人材なのではないか、とも思えてくる。
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これから長男がどんな道を歩むかは、周りはもちろん、本人もわからないのだろうと思う。
けれど今後、今までの圏内から外れて未知の体験をする、というタイミングで、「支える人たちがいてこそ、リーダーが成り立つんだ」と気付けたのは良かったような気がする。
これからは、ますますコミュニケーションが大切な時代になるのだろう。
お先がもし真っ暗だったとしても、手探りでも、一緒に支え合える仲間がいれば、きっと何とかなる。
そんなことを、長男たち若い世代は、頭で解ってなくても肌感覚で分かっているのではないだろうか。私たち大人には見えないことを、彼らは身体で理解している。
価値観が激変し、迂闊にアドバイスもできない私たちは、そんな息子たちの背中を黙って見守っていくしかない。ある意味、それだけが私たちの仕事なのかもしれない。
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