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エントロピーの問題〜死と成長を考える〜

数年前に読んだ、中沢弘基著「生命誕生」。

この前、カルロ・ロヴェッリの「時間は存在しない」にエントロピーの話が出てきたので、本書を思い出しました。

ラマルクもダーウィンも、生命はどのようにして進化してきたかという道程を示してはいるが、そもそも「なんで生命が誕生し、進化しなければならなかったのか」という謎を解明してはいない。

本著は、その謎に迫る快作でした。

宇宙は常にエントロビーの極大化に向かっていて、地球は46億年前のビッグバンの熱を放射すべく、生命を複雑化し、秩序化して自由を奪って進化させてきて今に至っている。
地球が冷却し続ける限り、生命は進化し続けてエントロピーを下げることに貢献し続けなければならないとのことでした。

じゃあ、なぜ生き物は死ななければいけないのか、という疑問が生じます。
個体が死ねば、せっかく秩序化したエントロピーは最大化します。
だったら死ななければいいやんと思うのですが、死ぬ必要があるから死ぬ。

そこで思い出したのが、野口晴哉氏の「整体」です。
夫と私は、整体の稽古場で出会ったこともあり、ウチでは子供も家で整体出産、子育てから普段の生活まで、整体生活を心がけています。

私たちは、普段風邪薬を飲みません。
身体は、必要があって風邪を引き、風邪をうまく経過させれば整うからです。そして、熱を冷やして下げるのではなく、上げます。わざわざ体を温めて上げ切るのです。

熱は、上がりきれば下がります。
(本当に35度台まで一気に下がり、それをじっと待っていると平温になります)

人間の身体には、そのようなダイナミズムがないと、より健やかに保ちえません。(だからこそ「清濁のみ合わせる」などという言葉が生まれてくるのだと思います)

なので、より高度に秩序化するには、右肩上がりに秩序化し自由を奪って行くよりも、途中エントロピーを最大化させた方が、逆にそのダイナミズムにより、より高度な秩序化が促されるのではないかと考えました。

長い目で見れば、一旦死を挟む方が、より効率よくエントロピー低下、すなわち進化に貢献できるということかと思います。

そう考えると、私たちが成長するのもある意味、「よりよく死ぬ」ためかもしれません。

成長によって、秩序化が進み、エントロピーが徐々に下がっていく。下がっていったエントロピーが死によっていきなり最大化する。

そのダイナミズムが、生き物の進化には重要で、人間のように高度に進化した生き物であれば、より微細な進化、秩序化が、インパクトにつながると考えられるのではないでしょうか。

進化とは秩序化と無秩序化を繰り返した結果得られるもの。
それが地球と共に生きている生命の有り様なのだと、当時の読書メモには書いてありました。

日本文化における最大の特徴「無常」も、「不易流行」も、その辺りの特徴をよくついていると思います。

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最近、更年期を迎え、心身の変化を感じます。良くも悪くも、こだわりが無くなったり、こだわる場所が変わってきたりしている。ある意味、楽になってきているし、全体的にフラットにいろいろなものが見えてきているようにも思います。

いくら人生100年時代といえども、10代、20代の頃のようには、成長を前向きには捉えにくい。「無常」を受け入れ、死に向かって成長することを楽しむ工夫が、50代以降の生きる技なのかもしれません。



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