今日の一言!「物事が成り立つにはそれなりの時間が必要」
高三の息子。
進路に悩み続け、「秋深し」のこの時期になって、ようやく「こんな方向」というのが出てきた。
それまでは、大学に行くべきかどうか、だったらどんな方向か、行かないなら、どこがいいか、専門学校なのか、それとも、通信に行って一般教養などを学び、何に興味があるか、やりたいことは何かを見極めた上で大学院などを目指すのか...。
といった感じで、延々と悩み続けていた。
緊急事態宣言下が長かったから、家にいる時間も長い。
長男の行動を見ていると、ほぼ毎日、定位置に座ってじっと考え込むか、スマホをチェックして情報などを検索しているか。
上下女の子に挟まれた長男、上下の女子はさっさと進路を決めて、着々と進めている。
(こういう書き方をすると差別的と取られかねないけれど)、やはり女性の方が何か割り切ってさっさと決めていくものなのかもしれない(かくいう私も、あまり進路に悩んだ記憶がない)。
そんな息子が今日、ボソッとこう言った。
「ねぇ、おかあさん。林業やってるおじいさんが言ってたんだけど、チェンソーで木を切ると、速く切れるけど、チェンソーに触ってない時でも体がブルブルするようになるらしいんだよ。それってさ、やっぱり、それなりの時間かけてやらないと、問題が出てきちゃうってことなのかな。」
「やっぱりさ、
手間暇かけて一つ一つの工程を経るのと、機械化して工程を省くのとじゃ、できてくるモノが全然違うよね。」
そこでハッとした。
物事が熟成するには時間がかかる。味噌だって、半年や一年待たないと、味噌にならない。
そういう、時間の仕事を無視して、自然の「間」を無視して何かやろうとした時、どこかに無理が来たり、味わいが薄くなっていたりするものだ。
長男はそんなつもりはなかったと思うけど、自分の進路を決めるってことも同じだ。
それなのに私は、毎日同じ場所で同じ格好で座って考え事をしている長男に、半ば苛立ち、半ばあきれて、「テキトーでいいんじゃない?」とか「もうそろそろ決めなきゃね。」とか「まずは動いてみないとね。」とか、彼の自然を無視したことを散々言ってきた。
本人の意図しない言葉で、ハッと気づいた。
実際には、本人が一番焦っていたはずだ。周りの友人の進路が決まり、そろそろ推薦の合格者も出る頃なのだ。そういう本人の気持ちを汲もうとせず、余計に焦らせるような言葉をかけていた自分って一体。
なのに、息子は「いや〜そうだよね。僕もそう思うよ。」と言って、全然怒らなかった。ただただ、申し訳ない。
そして、その本人は、今ようやく「これかな」を決めつつある。
やっぱり、子どもって本当に進化してる。大人の私たちなんかじゃ、歯が立たない。親はその字の通り、黙って木の上から見るに限る。
そう肝に銘じた一言だった。気づかせてくれた長男に感謝。
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