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異質なものとの出会いによってもたらされる、やさしさ

週末にロシア人の友人と一緒にいた時に、近くにいたおじさんに声をかけられて、「どこから来たの?ロシア?プーチンじゃーん、最高〜!」というなんとも言えない言葉をかけられて、考えたことを書いてみる。

何が最高なんだか、さっぱりわからないけど、おじさん的にはきっと何かしらの共通の話題が欲しかったのだろう。悪気は絶対にない。めっちゃキラキラの笑顔で言っていたよ、あのおじさん。でも、もうちょっとあるだろ〜。せめて、ウォッカとか、ピロシキにしたらどうなんだい。

全く悪気がないであろうおじさんとの会話で、なんともやるせ無い気持ちになってしまったのです、ワタクシ。友人がどう思ったのかは聞かなかったけど、日本人としてなんとも恥ずかしい気持ちになってしまった。

私たちは、無知であることで、誰かのことを無意識のうちに傷つけてしまうことが、たくさんあるんだと思う。

私はtiny peace kitchenを始めた頃、「誰のことも傷つけずに生きていきたい〜」という綺麗事のような、超本気の願いを持っていた。だけど、やればやるほど、そんなことはできないことがわかってきた。どんなに手を尽くしても、どんなに真剣に向き合っても、誰のことも傷つけないなんてことは無理なんだ。

人が傷つくことって、本当に本当に簡単だ。ちょっとした誤解で、ちょっとした意識レベルの差で、ちょっとしたリテラシーの違いで、私たちは本当に簡単に傷ついてしまうし、傷つけてしまう。

私が息抜きがてらにアップしたSNSの投稿をみて、誰かしらが何かしらで嫌な気持ちになる可能性は大いにある。傷つける意図がなくったって、私はきっと今日も誰かを傷つけているのだ。

絶望せずに、諦めずに、どうしたら私たちは「やさしさ」を手に入れることができるんだろうか?ということを考え続けている。

その一つに、異質なものと出会い続けること、ということを意識するようになった。

私たちは生きていると、知らぬ間に自分のとっての「当たり前」という「ものさし」をインストールしていってしまう。その「ものさし」で、いろんなことを感じ取ったり、リアクションしたりしている。

でも、本当は「当たり前」なんてものは存在しない。そう評価しているのは自分なのだから、そんなものさしはどんどん捨てていったほうがいい。でも自動的には捨てられないというか、認知すらできないから、自分から異質なものにどんどん出会っていくことで、意図的に捨てていくしかない。

移動が制限され、異質なものとの出会いが減っていくことについて、ちょっと考えていきたい思っている。リアルでの出会いが減り、オンラインでの出会いが増えている今、どうやって異質なものと出会い続けられるかを、大切にしてみたいと思っている。

人を傷つけないようにしたいと思いながら、生きている限り常に誰かを傷つけてしまうリスクを持っていると学んだのだから、どうやったらやさしい人間であれるのか、せめて考え続けることはしたいなって思ったのだった。

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