ものと時間と心の整理

2021.11.8(月)

子どもが小さい時に、何度も片付けては散らかる、思い切って時間を取って片付けてはその横で別の所が散らかる、ということを繰り返して来ました。


片付けど 片付けど 我が家きれいにならず

という心の俳句を詠んだほど。


子どもが小学生に上がったら、目標は整理だなと思っていました。とは言え、長年片付けを諦めたり、見て見ぬふりが日常化したり、散らかってるのが景色化したりしていました。重い腰はなかなか上がらない。

そんな時、友達のFBで知った「魔女の家政婦便」というサービスを始められた方に、リビングの整理に来てもらいました。

FBの整理・収納技を見て、キッチンが得意な方かと拝見していました。プライベートの物が少ない分、頼みやすいのはキッチン。でも、一番整えたいのはリビング。でも、それこそ生活丸見えで、人に頼むのは…と思いつつ、これじゃ一生片付かないなと思い、勇気を出して依頼しました。

元々そんなに来客は多くないほうだけど、コロナ禍で人を呼べない習慣で散らかりっぱなしのリビング。せめて人が来た時にましな感じにと思っていました。

しかし、手を付けることになったのは意外にもキッチンカウンターの扉の中と作り付けのテーブル。カウンター内は大丈夫なんだけど、と思ったけど、85%詰まってて、可動域15%といったところ。一応物を出し入れできてるから大丈夫と思ってただけでした。机に至っては物入ってるけど、ほぼ出し入れ0%でした。

見える所は人が来たら何とかするけど、見えない所を手を付けた方がいいとのこと。

うちは本が多いらしいです。
そこまで読書家じゃないから、これは平均的だろうって思ってるんですが。あと、自覚したのは書類が多いということ。

私、市とか公共の物で配られた物は、捨てづらいとこあって。
自治会とか管理組合の資料とかも。
全然読んでないんですけどね。あれば、必要な時読み返せるだろうと置いている。

あとはずっと続けてた会員制の講座で送られて来る本。
子ども小さかったから、小学校上がったら読もうと思って、読んでなかった。自分で選んで買った本でも積読になるのに、やっぱ自分で選んで買った本でないとなかなか。

リビングのソファやダイニングのテーブルは、家を購入した際について来たと言うと、自分で選んでないやんと指摘されました。

おまけでついて来たというのを大切にしていると、『おまけの家』になってしまうとのこと。これは、私が敬愛するスーパー主婦の井田典子さんも似たようなことを言われていました。「とりあえずと置いておくと、『とりあえずの家』になってしまいます」と。

さらに、私がオンラインサロンで入っている高橋ナナさんも似たようなことを言っていたのを思い出しました。「しゃーないでやってると、『しゃーなしの人生』になる」と。

その全てがリンクして、うちは『とりあえず、しゃーなし、おまけ』になってるなと気付きました。そして、物の持ち方は自分の思考から来ているので、それが人生を支配するというのもよく分かるので、これはゆゆしきことと気付きました。

話を聞いていたら、捨てる基準が明らかになって来ました。


私が置いてるもの → こう考える

・もったいない・これだけお金かかったのに → 過去に執着して今ここにいない方がもったいない

・おまけでもらった・ついて来た・人にもらった → 自分で選んでない、これに囲まれてうれしいというもので満たす

・不義理はできない(人にもらった物を捨てれない) → 今まで置いてたら十分お役目は果たした

私のもう1つの基準が、3年前に町内が冠水したので、「冠水しそうな時、守りたいか?濡れても乾かしてまでほしいか?」


そう言われてみるとそうだなと納得したものは、今までだったら捨てるなんて考えられなかったものでも、捨てることに。そうすると、「あれを捨てたら、これもいいだろう」となって来るのです。

本のほとんどは、私の中では捨てるつもりなかったんだけど、上記の基準に当てはめて残す物を選んで行くと、読みたいと思う本は、4冊くらいしかなかったのでした。

これは、同じことを母など身内に来てもらって整理をしていたら、たぶん同じようには捨ててなかったと思います。「あ、これは時間がある時に読むねん」とか言って、置いておいたり、場所を少し変えるだけに留まったでしょう。

本は、カウンター扉内、カウンター上、子どもの本棚、本棚の前に入りきらず置いてる、床に立ててる、テレビ台の上とまあ冷静に書いてみると、よくそこまで多岐に渡れるなと思うほど。
借りてる本は、借りてる本コーナーでまとめました。

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午前中に終わるかと思いきや、夕方までかかりました。
実は、この日の料金は午前中かかる計算で用意していたのですが、思ったより時間がかかったので予算オーバーと思っていました。ところが、お恥ずかしながら、片付けをしているうちにお金が入った封筒が出て来て助かったのでした。

普段使わない筋肉を使ったからか、疲れました。
その日は早く寝ました。


私の問題点は自覚していて、
・物の住所が決まってない物がある。
・ジャンル分けできない物がある。

今回だいぶスッキリさせたことで、余白もできて、住所不定だった物も、使い終わったら片付けるスペースができました。物を整理する時、きっちきちに仕舞ってたらいけない。余白大事。
ジャンル分けできないのは、雑多みたいな感じでまとめて頂きました。人がしてると、そうすればいいのかと思うけど、なかなかできないもの。

キッチンカウンターの上は平面が見えました!
作り付けの机の上はその都度、物の置き場になってたけど、スッキリしました。デジタル機器はまとめて高低差つけて置くとか、自分では思いつかない技も。


その後:
・キッチンカウンターは、料理を置いて、子どもに運んでもらうという本来の使い方ができた。
・床に物がないと掃除機がかけやすい。(当たり前だけど。)
・物が積み上がってた床に何もなくなったら、子どもがそこでも遊ぶようになった。(私はそこは通らない癖がついてて、まだ空間の有効活用できてないけど。)

整理だけだと時間かけて、めっちゃやる気出したら自分でもできるのかもしれないけど、整理脳持ってる人のアイデアを借りると、そういう方法があったかとなった感じ。

私としては、今年は「整える」がテーマで、その中でも最難関が空間なんだけど、リビングの一部でも整うと、頭もスッキリしていく感じがします。予定の立て方でも、効率良くできるような気がして来るほど。今までは、終わらせてない宿題があって、それで頭の中が忙しくなってる感じだったんですが、少しは整うと心にもゆとりができて、子どもがいないとテキトーな昼ご飯も、なんかちゃんと作る物を思い付いて作る余裕ができました。

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整理って自分ですればお金がかからないし、タダでできて心も整う最強の行動だと思います。ただ溜め込むと億劫になる。そして、整理の仕方って誰にも教えてもらうことがないから、自己流でうまくいかないといつもと同じループにはまります。(片付けた時はいいけど、すぐ崩れるなど。)

でも、一度整うと、探し回ったりする時間の無駄も省けるんですよね。そう考えると、いいお金の使い方をしたなと思うのです。


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