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母の鶏唐揚げ

11月某日。我が家に実家から大きな冷凍便が届いた。

中身はジップロックに入った大量の手料理。妹が誕生日プレゼントとして母にリクエストしたものだった。「昔、普段食べてたものを作って送ってほしい」と頼んだそうだ。
たしかに盆休みや正月に帰省すると、大抵2-3泊しか泊まらないし、親戚が集まることも多い。だから、最近実家で食べるのは、すき焼き・おせちなど特別メニューが多かった。

今回送られてきたのは、トンカツ、コロッケ、鶏の唐揚げ、きんぴら、ひじきの煮物、かぼちゃスープ。どれも15年は食べていないと思う。

私は食わず嫌いが激しい子どもだった。

ファミレスに行っても食べたいものがない。食べ慣れないものは苦手。料理だけでなく、食材の好き嫌いも多かった。例えば「あんかけ焼きそばは好きだけど、海老が入っているなら食べたくない」。家で食べるおでんは豆腐とこんにゃくだけ、手巻き寿司はシーチキンとマグロだけ。手のかかる、可愛げのない娘だったと思う。

食に興味がないから、母の手料理への感謝も薄かった。母の料理の「好き」と「普通」の割合は3:7くらい。恥ずかしい話だけれど、当時は食べさせてもらうことが当たり前だと思っていた。

一人暮らしを始めた頃、自分の作る料理がどれも不味すぎて衝撃を受けた。味噌汁も、炒め物も、パスタも。どれも、どうすればここまで不味くなるのかと途方に暮れた。

友人と外食したり、知人に家に招かれて食事したりするうちに、次第に私の食わず嫌いは解消されていった。大人になって味覚が変わったせいもあるだろうが、それ以上に自炊が下手すぎて、他人の料理が美味しかったからだったと思う。

何を食べても「美味しい」「ありがたい」と感じるようになり、母の料理も「みんな美味しい」と思うようになった。けれど、私たちが家を出て、父と2人暮らしになってから、母のレパートリーは少しずつ変わってきていた。だから、子どもの頃の「母の味」を味わう機会はなかなか得られなかった。

今回送られてきた冷凍の手料理は、あくまで妹への誕生日プレゼントだが、母は「お姉ちゃんにもあげてね」と念を押していたらしい。2人で包みを開けると、私の名前が書かれた袋がいくつか入っていた。「名前書いておかないと、ケンカになると思ったんだろうね。」妹は笑いながら、しぶしぶ私の分を置いていった。その袋の1つに、「鶏の唐揚げ」が入っていた。

鶏の唐揚げは私たちの好物の1つだった。私はムネ肉派・妹はモモ肉派だったので、いつからか、母は2種類の鶏肉で作ってくれるようになった。私たちは姉妹で、できあがった唐揚げを見ては、「これはモモだ」「これはムネだ」と言いながら、かじって違えば交換したり、「今日は胸肉の方が多いんじゃない!?」とか言って、揚げたてを2人でつついていた。忘れかけていた思い出が蘇ってきた。

その日の夜、妹から「唐揚げのにおい懐かしいよ」と写真付きのLINEがきた。

私は唐揚げの匂いはおろか、味も思い出せる気がしなかった。

実家を出て以来、私は一体、鶏の唐揚げを何個食べただろう。母の唐揚げを食べた回数を、母以外の誰かが作った唐揚げを食べた回数が既に上回ったのではないか。あまりに身近で、沢山の人気レシピがあって、自分でも作るようになって・・・唐揚げが周りに溢れすぎて、母の味の記憶は、脳のどこに置いてきたかわからなかった。

翌日の夜、私も母の唐揚げを食べることにした。私の名前が書かれたジップロックには「胸肉」の唐揚げが入っていた。

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「唐揚げのにおい、思い出せなかったらどうしよう」

すでに母が揚げてくれていたので、オーブンで温めることにした。
唐揚げが温まるのを待つ間、ものすごく緊張した。この匂いにピンとこなかったら、大切に育てられたことを省みない、薄情な自分の現実が突きつけられる気がした。

覚悟を決めてオーブンを開けた瞬間。いろんな意味で安心した。

「この匂い、知ってる。」

確かにそれは、紛れもなく「お母さんの唐揚げ」だった。

そして味わってみると、「あぁ、これだ」と直感する味だった。

嬉しくて、感動して、ちびちび味わった。

その晩、母に電話した。

「お母さんの味、思い出したよ。変わってなかった。すごく美味しかった。」

母は、「適当に作っているから、よくわかんないけど、喜んでもらえてよかった。」「食べたことないから、美味しいかどうかはわからない。」と笑いながら言っていた。

そうだ・・・

母は私と違い、好き嫌いが少ないが、鶏肉だけは食べない人だった。小さい頃に家で鳥を飼っていたからか、鶏肉は触るのも食べるのも苦手だったようだ。

改めてこのことを考えた時、母の愛の大きさに胸が熱くなる。

離乳食の頃から食べたくないものはペッペと吐き出し、偏食で、出されたものは一応食べるが大して喜ぶわけでもない私に食べさせるために、母はよく鶏の唐揚げを作ってくれた。めんどくさいとか、気持ち悪いとか、じゃあ自分は今日何を食べようかとかなどとは、いちいち考えないで料理していたと思う。鶏の生々しさだけは意識しないように。淡々と。

「お母さん、すごいね。私が子どもの頃は大変だったでしょう?」

母のすごいところは、苦労した事実を覚えていても、その時の肉体的・精神的な辛さは覚えていないところだ。生みの苦しみを味わっても、産んだ子どもをみると喜びが苦しみを越えて、痛みを忘れてしまうと聞いたことがある。母親の愛情は、出産だけでなく、その後もそういうものなのだろうか。母は、私が言ったひどいことやひどい態度は、みな「忘れた」という。

子どもが親にした失礼な態度や辛辣な言葉を、親が「思い出さない」というのは、「愛」だと思う。私は自分の母を心から尊敬しているが、おそらく世の中のお母さんも、同じように子どもを愛し、許し、与えているのだろう。子どもがいない私には理解できない境地。本当に頭が下がる。

私は偏食のわりに大きく育った。牛乳ばかり飲んでいたからだと思っていた。でも、本当は、お母さんが愛情を持って食べさせ続けてくれたからだ。

子どもの頃の母の料理は、ごく普通だと思っていた。近年美味しいと感じるようになったのは、自分の好き嫌いが治り、母が腕を上げたからだと思っていた。でも、今回食べた唐揚げは昔と同じ味だった。そして、すごくすごく美味しかった。




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