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お祝いごとで気付く気持ち

明日はパパの誕生日です。

明日の帰りの時間を確認してみると、帰りが遅く夕飯もいらない日だということでした。(日によって出向く先が違うので、我が家では、毎朝帰宅時間を伝えてもらっています)

一緒にお祝いができないから、今晩渡せるようにプレゼントのシャツとケーキを用意しました。

本当は、私はどちらでも良かったのです。
週末には焼肉ランチを予約しているし、そこでお祝いできれば良いのですから。

シャツのプレゼントも、どんなものがパパに似合うか、着てもらいたいか。ケーキも、ろうそくとメッセージプレートをちゃんとあしらうように用意して頂きました。

全て、娘の提案とチョイスでした。

正直、喧嘩もするし。

その度に、嗚呼…やっぱり合わないんだろうな…私たち。
育ってきた環境も価値観も考え方もバラバラなんだな…
家族って、夫婦って何なんだろうな…

と、考えることが、度々私の心の中で巻き起こるのですが。
こうして何かしらのお祝いごとの際に、相手のことを考えて思って行動してみると。そこでの嬉しさや楽しさや、喜んでくれるかな…と考えている私自身の気持ちに気付きました。

お祝いされるより、祝いたい側
もてなされるより、おもてなししたい側

私は、そんな人間です。

それでも、誰かに何かをプレゼントすることや、プレゼントしようと思う気持ちも。そこに自分の時間を費やす行動も。
嬉しさも楽しさも、喜んでくれるかな、、、なんて気持ちは、本当に嫌いで苦手で嫌な人間に対しては、決して湧かない感情なんだと思います。

だから、色んなことがあるけれど。
結局、私はパパを嫌っているわけではないし、嫌いでもなくて苦手でもない。

つまりは、これが家族になったということなのかな、と。
娘の存在が大きいのかもしれませんが、例えそれがなかったとしても、相手の誕生日が近づけば、今年はどうしようかなぁ〜と考える心が私にはあるのです。

これからも、きっともっと、色んなことがあると思います。
それでも、誕生日やお祝いごとで湧き上がる気持ちや、そこに思い浮かぶ相手を、これからも大切にしていこうと改めて感じる日でした。

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