見出し画像

自分をナメるな!

どうも、Tomです。

みなさんは自分をかわいそうだと思う瞬間ってありますか?

私はありました!(ばばーん!!)

育児をしていて、いや、その前から自分はなんてかわいそうなんだ、大変な人生を歩んでいるんだ、と思う節がありました。確かに忘れた頃にいろんなトラブルが降ってかかってくるんです。
騙された自分、嫌われた自分、大変な思いをしている自分、お金がない自分…などなど。
つまり悲劇のヒロインです。
出産してからは好きなことを好きな時にできない、自分の時間がない、寝る時間もない、オット氏は役に立たない(←)そんな「私かわいそう」。
ま、かわいそうな自分に浸るというのもそれなりにメリットがあるんですが(常に被害者でいられたり)なんか暑苦しい感じになりそうなので割愛。

でも、最近ふと思ったんです。「私、自分で自分のことを勝手にかわいそうな人にしているな」って。

私が「かわいそうのメガネ」をかけて世界を見渡せば、もうね、びっくりするくらい全部が自動で「かわいそう」な世界になるんですよ。
そして、かわいそうな私が次にすることは、もっとかわいそうな私を創る。尽くしても尽くしても旦那はちんたらしてるし、子供が泣き叫ぶ。(笑)

そんなことに気づいたら、なんだかフツフツと湧いてきた気持ち。それは…

【自分をナメるな!!!!】

だからもう、この「かわいそうメガネ」を外したんです。ええ、そりゃもうぶん投げてぎちゃぎちゃにしてやりましたよ。
【私も彼も子供も、かわいそうじゃないっ!】ってね。

そう、私たちは本来勝手に幸せになる力があるはずなんですよ。なぜかというと生きてるから。
私が悲劇のヒロインやって、誰かに尽くしに尽くすことは、あの人やこの人が自ら幸せなる力を奪ってることだって気付いたんです。
そう、誰も彼も私がかわいそうがってアレコレしなくても大丈夫なんですよ。だいたい私もどの立場からアレコレしてたんだ、と。勝手にかわいそうがって色々するなんて超上から目線ですよね。(笑)

それまでの私はとにかく誰かを喜ばせることが好きでした。それ自体は、ま、別にいいと思うんですが、してあげたことが空回ると落ち込んだり不機嫌になったり、勝手にやっといてめんどくさい人間でした。(笑)
「あ、これオット氏が好きそうだなー」と思ったら買っておくようなタイプ。
でもそれをやめてまず100%自分の方にそのエネルギーを向けると、つまりそういうエネルギーがあるなら自分の分のノンアル買ってご機嫌に飲んだりしてたら、不思議なことに優しい世界は向こうからやってくる。
なんかしらんけどオット氏が更にノンアル買ってくれたり、(そればっか笑)ほしいと思ってた録画機器がやって来たり。ムスメと過ごす時間も楽しくなりました。

ある本で読んでから意識してるのですが、三角柱を作りその一辺にものごと、例えば認識している問題を書き込むと、自分と向き合う一辺しか見えず、残りの二辺には何が書いてあるか見えません。それだけ私たちはひとつの考え方にフォーカスしがちで、でも、ものごとは多面的でいろんな捉え方ができる。

だから、脳がもともと持っているものごとに対する翻訳機がネガティブに訳されるものならばポジティブ、仕様にすればいい。
でも、ここで大切なのは最初に生まれた自分の感情を潰して塗り替えないということ。自分から湧いた感情は自分だけのものだから、認めて馴染んで笑えたら、翻訳機でポジティブにすればいいと思うんです。てゆか認めて馴染んで笑えたら、勝手に昇華されちゃうことがほとんど。

ちょっと理屈っぽくなってしまいましたが、大人になってから思考回路を変えていくってゆーのは、最初理屈で理解してから、ある程度手動で回数こなしていくのが必要なんですね…。
でもここで折れたら、逆に言えば折れずに回路が定着すれば!毎日が夏休みに大きく近づくのでは?!と日々邁進しとります。

だってどうやって過ごしても1日は1日じゃんね。それならどこかで拗ねた自分と仲直りしちゃったほうがいい。損した気持ちになるかもしれないけど、それでも未来の楽しさにベットしたい。

今日はまた暑くなってますね!天気悪くなるんじゃないんかい!と言いつつ朝からした洗濯物が1時間で乾いて、ご機嫌なTomさんでした。


**みんなのフォトギャラリーより写真を使わせていただいております。投稿者様ありがとうございます**

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?