いわゆるTERFを攻撃する過激派TRAこそ「トランス差別」ではないのか?――“一部の”リベラル・フェミニズムの欺瞞
今、ネット上で身体女性の権利を守ろうとする人たちに「TERF」(トランス排除ラディカル・フェミニスト)というレッテルが貼られ、攻撃されています。彼らを攻撃しているのが、TRA(トランス権利活動家)を名乗る人たちです。
TRAを名乗る人たちは「トランスジェンダーの権利を守れ!」と言っていました。それ自体は別に悪いことでは無いと思いますが、最近、それが過度にエスカレートしており、むしろ「その主張こそ、トランス差別に繋がるのでは?」とツッコみたくなるような状態になっています。
そもそも「TERF」とは何なのか
まず初めに言っておくと、私は別にTERFではありません。
最近ネット上でよく聞く「TERF」という言葉ですが、これは「トランスジェンダーを差別するラディカル・フェミニスト」という意味です。
最近では、「ハリーポッター」シリーズの原作者であるJ.K.ローリングさんが「TERF」のレッテルを貼られて、脅迫を受けるなど激しい被害に遭っています。
しかし、私が見たところ、ローリングさんを始め「TERF」と呼ばれている人の多くは身体女性の権利を守りたいだけで、別にトランスジェンダーを差別しようとしている意図は感じられません。なので多くの場合「TERF」と言うのは単なるレッテル貼りです。
要するに、過激派TRAと対立しているラディカル・フェミニストに「TERF」のレッテルが貼られているようです。
そもそも私はラディカル・フェミニストでは無いので、どういう意味でもTERFではありません。ラディカル・フェミニストは女性主導の運動であり、シスヘテロ(?)男性である私の出る幕はありませんから。(アセクシャルだから、ヘテロかどうかは異論があるだろうけど。)
だいたい、私は思想は保守派です。とは言え、思想が違っても本気の人は素晴らしいと感じます。
ラディカル・フェミニストの人には本気で女性の権利を考えている人が多いように、感じます。本気だからこそ、私とは相いれない部分も多いでしょうが、ラディカル・フェミニストの人達が純粋に「女性のため」に活動している人達だということには、異論がないのではないでしょうか?
一方、「TERFバッシング」をしている過激派TRAの中にも「女性の権利」を掲げている人たちは、います。彼らはいわゆるリベラル・フェミニストに多いそうですが、後述のように私はそもそもリベラル・フェミニストの多くは「本気で女性の権利を考えている人たちでは、無い(本音は別のところにある集団である)」と、考えています。
法的には「トイレ」と「風呂」は別問題
さて、今いわゆるTERFの人たちと過激派TRAの間で議論になっているのは、主に次の二点です。
・トランス女性(身体男性)に女子トイレを使用させるべきか?
・トランス女性(身体男性)に女子風呂を使用させるべきか?
これについて、「女子トレイや女子風呂は身体男性は入ってほしくない!」という人たちに対して、TERFのレッテルが貼られているのが現状です。
一方、過激派TRAの人達は「それぞれ自認する性(ジェンダー)のトイレや風呂を使用させるべきだ!それに反対するのはトランス差別だ!」と、主張しています。
こうした議論について、多くの方が見過ごしているのですが、そもそもトイレと風呂では些か問題が異なります。
風呂については条例で混浴が禁止されており、その条例における性別は身体性別であると解釈されているので、トランス女性に女子風呂へ入浴させる権利を認めさせたいならば、まずは条例改正が必要です。
一方、トイレについては異性のトイレに入ることを直接に禁止する法律は、ありません。今でも田舎では「男性清掃員が掃除しています」と言う貼り紙が女子トレイに貼られることがありますし、関西圏では女性が男子トイレを使用することは日常茶判事です。
ただ、現実問題として異性のトイレに入ると、多くの場合は「建造物侵入罪」が適用されます。そして、建造物侵入罪で重視されるのは施設管理者の意思です。
例えば、女子トイレの掃除を男性がしている場合、施設管理者が委託したのであればそれは問題ありません。
職場のトイレの場合は、その職場でのルールが施設管理者の意向と見做されます。職場で「トランス女性(身体男性)は女子トイレを使用してはならない」となるとそれに従わなくてはなりません。(但し、後述の通り例外的な判例があります。)
では、公衆トイレではどうでしょうか?
公衆が使う施設の場合、施設管理者の意向は一々明示されずに社会通念に委ねられる場合が多いです。社会通念上、男性が女子トイレを使用するのは、アウトです。もっとも直ちに建造物侵入罪が適用されるわけではなく、間違えて入ったら即逮捕、みたいなことにはなりませんが。
しかしながら、トランス女性(身体男性)の女子トイレ使用についてはネットを見ても意見が分かれていますので、トランス女性(身体男性)が女子トイレを使用した結果通報された場合、実務上は警察官の現場判断の裁量が大きくなります。
女子トイレ使用の基準が「パス度」で本当にいいの?
先程、職場でのトイレの使用は施設管理者である職場のルールに基づく、と述べましたが、実はこの原則を揺るがしかねない判例が、今年に入ってから出ました。
簡単に言うと「一見すると姿が女性であるから、女子トイレを使用させないのは差別である!」という判決です。
つまり「パス度の高い(シス女性と区別のつかない)トランス女性は、女子トイレを使用させるべき」と裁判所が判断した、ということになります。
が、ちょっと待ってください。
本当にこれでよいのでしょうか?
これは要するに「見た目が女性らしい人は、女子トイレを使用。見た目が男性らしい人は、男子トイレを使用」ということになります。
より正確には「本人の自認+見た目」ですが、自認はあくまで自称で客観的には判らないので、実務上は見た目を見て判断することになる訳です。
つまり、完璧に女装した男性がトランス女性だと主張し、それを否定するだけの根拠がない場合、彼は女子トイレに侵入しても証拠不十分で不起訴になるでしょう。
さらに、男性的な容姿や服装のシス女性が女子トイレを使用すると通報される、ということにも繋がりかねません。
法律の趣旨から、トイレについてはこれまでも弾力的な運用がなされてきましたし、今後も弾力的に運用されるでしょうが、「一歩間違えれば・・・」というような運用にならないことを願います。
過激派TRAこそXジェンダーを排除しているのでは?
無論、流石に「パス度で判断するべき!」という暴論を言う人は少ないでしょうが、今回の判決が「同じトランス女性でも、パス度の高い人は女子トイレを、低い人は男子トイレを使用するべき」という、トランス女性自体を分断する道に繋がっていることも事実です。
また、パス度とは「外見的な女性らしさ」ということですから、これはトイレの使用基準に社会的性別(ジェンダー)を用いている訳です。
事実、自認する性別(ジェンダー)に合ったトイレを使うべき、と過激派TRAの方は言っている訳ですが、これはハッキリ言うと暴論です。
何故かというと、そもそもジェンダーは男性と女性だけでは、ありません。
男性も女性でもないXジェンダーの方もいます。Xジェンダーの中にはAジェンダーやノンバイナリーも含まれます。
仮に「女性と自認する人は女性トイレ」「男性と自認する人は男子トイレ」だとすると、どちらの性別でもないXジェンダーの人はどちらのトイレを使用するべきなのでしょうか?まさか「X用トイレを作れ!」とでもいうつもりなのでしょうか?
恐らく、過激派TRAの人の多くはそこまで深く考えずに「差別だ!差別だ!」と叫んでいるだけなのでしょうが、後述のように中には本気で「X用トイレを作れ!」と思っている人も、いるかもしれません。
いずれにせよ、「トランス男性(身体女性)は男子トイレを、トランス女性(身体男性)は女子トイレを、それぞれジェンダーに従い用いるべし」なルールが出来ようものならば、Xジェンダーの人が困ることは目に見えているのです。
これまで多くの人が身体的性別(sex)と社会的性別(gender)とを区別するように運動してきましたが、それを覆そうという企みに意識的にせよ、無意識的にせよ、過激派TRAは与しているのです。
女子風呂の利用は身体女性に限定しないといけない
さて、先日「女子風呂にはトランス女性(身体男性)が入ってきてほしくない!」という文章を某フェミニズム団体のHPに投稿した女性が、一部のリベラル・フェミニストから「TERF」のレッテルを貼られてネット上で集中砲火に合う事件がありました。
しかし、女子風呂の場合は女子トイレとは異なり、弾力的な運用ではなく「身体の性別で区別する」という原則を貫くべきです。
大前提として、これは別にトランス女性を犯罪者扱いしている訳では、無いということを理解してください。
そもそも、風呂場が男女で別れているのは、性犯罪防止のためではありません。ゲイやレズビアンによる性犯罪も世の中にはありますが、ゲイの人は男子風呂を、レズビアンの人は女子風呂を使用します。
つまり、性犯罪の可能性の有無にかかわらず、身体の性別が同じ人同士が同じ風呂に入っていたのです。そこを勘違いしてはいけません。
そもそも、風呂場ではリラックスする場です。
我が国では性犯罪は圧倒的に「男性⇒女性」が多くて、「女性⇒男性」は圧倒的少数です。だからといって「女性は男子風呂に入るな!」と言うと「女性を性犯罪者扱いしている!差別だ!」という話になるのでしょうか?無論、そんなバカなことはありません。
女性による性犯罪は圧倒的に少数でしょうが、それでも公衆浴場で寛いているところに全裸の女性がいようものならば、ゆっくり休むことが出来ません。仮に相手がか弱い女の子でも、性の対象になりようがない老婆でも、そうです。
(※「いや、全裸の身体異性がいてもゆっくり休める!」と言う人は、是非とも混浴解禁運動でもしといてください。但し、「混浴反対派は差別主義者だ!」みたいな主張だけは、絶対にしないでください。)
男子風呂でもそうです。残念ながら、トランス男性(身体女性)の方には男子風呂ではなく女子風呂を使用していただきますし、それはトランス差別ではありません。
それが、女子風呂になるとどうでしょうか?
そもそも、男性器は女性にとっては自分を妊娠させ得る凶器です。また、男性器の勃起や射精は基本的に不随意の反応であって、本人の意思とは無関係なのです。
意味が、判りますか?
トランス女性の多くは身体女性を襲う気など、ないでしょう。しかしながら、トランス女性の意思に関係なく男性器は勃起します。
意に反して身体異性の性器を見せさせられるのは、男女関係なく苦痛です。そのことを過激派TRAの方は理解されているのでしょうか?
「ジェンダー至上主義」に転向した過激派TRA
繰り返しますが、これまで多くの社会運動においては身体的性別(sex)と社会的性別(gender)の分離が図られてきました。
シス男性でも女性的な人はいます。シス女性でも男性的な人はいます。
しかも、時代や地域、文化によって「男らしさ」「女らしさ」の基準は異なります。
私はインドでは巻きスカートを履いていました。男性がスカートを履くことが普通の国は今でもあります。これがジェンダーです。
ここまでお読みくださり、本当にありがとうございます。 拙い記事ではありますが、宜しければサポートをよろしくお願いします。 いただいたサポートは「日本SRGM連盟」「日本アニマルライツ連盟」の運営や「生命尊重の社会実現」のための活動費とさせていただきます。