令和最初の憲法記念日を迎えるに当たって

 明日は令和最初の憲法記念日です。それに因んで、憲法について私見を述べさせていただきます。

『日本国憲法』は本当に「有効」なのか?

 そもそも、5月3日が憲法記念日であることに、私は違和感を抱いています。
 『日本国憲法』は『大日本帝国憲法』の改正という形を取って成立しました。しかし、実際には『大日本帝国憲法』改正の正しい手続きを踏んではいません。
 『大日本帝国憲法』の改正規定は次のようになっています。

第73条将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ
2 此ノ場合ニ於テ両議院ハ各々其ノ総員三分ノニ以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開クコトヲ得ス出席議員三分ノ二以上ノ多数ヲ得ルニ非サレハ改正ノ議決ヲ為スコトヲ得ス

 これによると、『大日本帝国憲法』の改正には「天皇の勅令」と「帝国議会の議決」が必要になっています。
 また、この「天皇の勅令」と「帝国議会の議決」にも「条件」があります。
 まず、「天皇の勅令」ですがこれは帝国憲法第73条には直接記されていないものの、帝国憲法第55条第2項及び第56条の規定により「内閣」と「枢密院」の同意が必要であると解釈されます。内閣と枢密院のどちらかが拒否すれば、天皇は帝国憲法の改正を発議できません。
 これについては、『日本国憲法』の成立においてはGHQの圧力もあったので、内閣も枢密院もほぼ全会一致で『大日本帝国憲法』の改正に同意しています。
 次には「帝国議会の議決」ですが、これが問題です。
 まず、第73条に依る限り「出席議員の3分の2以上の賛成」が必要ですが、これは満たしています。が、ここに罠があるのです。
 「天皇の勅令」と「帝国議会の議決」の「双方」が必要ということは、「天皇の勅令」で発議された帝国憲法改正案と「帝国議会の議決」で承認された帝国憲法改正案とが「同一」でないといけません。
 もしも「天皇の勅令」で発議された案と「帝国議会の議決」で承認された案が「別の案」であれば「帝国憲法改正は、不成立」となります。
 そして、実際に『日本国憲法』の成立過程においては帝国議会による「修正」が少なからずあったことは知られています。しかも、その内容は決して「枝葉末節」のものではありません。
・自衛隊成立の根拠ともされることのある「芦田修正」
・「普通教育」(小・中学校)の義務教育化
・「健康で文化的な最低限度の生活を送る権利」の明記
と言った、戦後の日本の歴史において大きな影響を与えた「修正」が行われているのです。

戦後の定説「八月革命説」について

 他にも『日本国憲法』の成立過程には様々な問題があります。前述の『大日本帝国憲法』第73条は「此ノ憲法ノ条項ヲ改正スル」ための規定であり、改正できるのはあくまで「条項」だけであり、「表題」や「前文」は改正できないのに改正されていることも、その一つです。
 こうした理由から『日本国憲法』が『大日本帝国憲法』の改正としては「無効」である、というのは、実は憲法学界の定説なのです。
 しかし、戦後日本の憲法学界はそこで驚愕の理屈を組み立てます。それが「八月革命説」です。
 それは、簡単に言うと「日本は戦前・戦時中は天皇主権の国だったが、『ポツダム宣言』受諾により『大日本帝国憲法』は失効し、国民主権の新しい国になった。既に『大日本帝国憲法』はその効力を停止していたのだから、『日本国憲法』が『大日本帝国憲法』の改正かどうかは関係ない」というものです。
 もっと簡単に言うと「戦前の日本と戦後の日本は全く別の国であり、言ってみれば『革命』が起きたようなものだ」ということです。
 そもそも、『大日本帝国憲法』は天皇主権の憲法ではありません。ただ、「天皇主権」を唱えて『大日本帝国憲法』を無視する輩がいたのも事実です。
 その詳細はここでは触れませんが、八月革命説の骨子は
・日本は『日本国憲法』成立によって「国民主権」の国になった
のではなく
・日本は『ポツダム宣言』受諾によって「国民主権」の国になった
という面にあります。いわば、
・『日本国憲法』が先、「国民主権」が後
ではなく
・「国民主権」が先、『日本国憲法』が後
ということであり、もっと言うと

『日本国憲法』よりも「国民主権」の方が大事!

という学説です。
 こういうと突飛な主張にも聞こえますが、実は『日本国憲法』の前文ではまさに国民主権を「人類普遍の原理」と書いています。
 これを素直に読むと、やはり『日本国憲法』よりも「人類普遍の原理」である「国民主権」の方が大切、ということになります。そして、『大日本帝国憲法』は「人類普遍の原理」に反するのであるから廃止されたのである、ということにもなります。

「八月革命説」の問題点

 こうした「八月革命説」ですが、この学説にはいくつか問題があります。
 第一に、『ポツダム宣言』受諾によって日本は「国民主権」の国になったと言いますが、『ポツダム宣言』においては

日本國政府ハ日本國國民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ對スル一切ノ障礙ヲ除去スベシ言論、宗敎及思想ノ自由竝ニ基本的人權ノ尊重ハ確立セラルベシ

と記されています。ここには「民主主義的傾向の復活強化」とはありますが「国民主権」とはどこにもありません。
 しかも「復活強化」ですから、『大日本帝国憲法』下でも「民主主義的傾向」は存在した、それを「復活」させさらに「強化」するべきである、と言っているのです。『大日本帝国憲法』は「人類普遍の原理」に反するから廃止せよ、とはどこにも記されていません。
 ちなみに、「基本的人権の尊重」と「国民主権」とは無関係です。
 「主権」というのは「国家の最高意思」「絶対権力」といった意味合いで、近代国家(主権国家)特有の概念ですが、「基本的人権」というのは近代国家であろうがなかろうが人間が当然に持っている(持つべき)権利のことです。
 なので、国家の主権がどこにあろうと、或いは「近代国家の国民ではなくとも」人権は人間であれば誰にでもあります。(だからこそ「外国人の人権」が声高に主張されるのです。)
 第二に、『日本国憲法』は「国の交戦権はこれを認めない」とあります。しかし「交戦権」の中には「講和の権利」も含まれます。
 日本は『日本国憲法』発効後に『サンフランシスコ平和条約』や『日中共同声明』『日ソ共同宣言』と言った様々な講和条約を締結しました。しかし、「交戦権」がないということは講和の権限もないはずです。
 もっとも、『サンフランシスコ平和条約』や『日ソ共同宣言』は「条約締結」の手続きを踏んでいるので「条約で戦争の終結を宣言している以上、その講和は有効である」という解釈も可能でしょう。
 しかし、『日中共同声明』は条約締結の手続きを踏んでいません。なのに、この「声明」で「戦争状態の終結と日中国交の正常化」が決められています。
 『日本国憲法』では海外との条約、協定等は全て国会での批准を必要としています。(すでに結ばれた条約の範囲内で政府同士が結ぶ協定は例外。)すると、『日中共同声明』はなんの法的根拠もなく「戦争終結」という重大なことを決めたことになります。
 このことについて「八月革命説」からは説得力のある説明はできません。

『日本国憲法』は一種の講和条約である

 こうした問題を解決する方法があります。これは『日本国憲法』は一種の講和条約である、というものです。
 言い換えると『日本国憲法』は「国民主権」ではなく、『大日本帝国憲法』に定められた天皇の「講和大権」で成立した、という説です。

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