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伝統の変遷

私が青年だった当時から日本は外来、とりわけアメリカの最新文化を取り入れることに敏感かつ熱心だったが、スマートフォンが普及してソーシャルメディア時代が到来したことで以前よりも文化的対立が先鋭化したような印象がある。たとえばLGBTに関する論争がそうだし、(あまり好ましい表現ではないが)海外出羽守という俗語も数年前からインターネット上で広く知れ渡るようになった。外来のリベラルな潮流に反発してきたのが日本の保守派であり、彼らの価値観の拠り所となるのが日本の伝統文化である。

それでは伝統とは何であろうか?かつて蘇我稲目が仏教を国内に導入しようとした時には政権内部で守旧派との対立が生じたと思われるが、今では仏教は日本の伝統的な宗教として広く受け入れられている。ロシア出身の作曲家イーゴリ・ストラヴィンスキーが『春の祭典』を芸術の都パリで初演した際は劇場に混乱を招いたが今では広く知られた古典である。

あるいは神道史を最初期から大まかに追っていくと、ヤマト王権の祭祀、律令国家の祭祀、神仏習合、吉田神道、国学と神道思想、国家神道等々、様々な歴史的変遷があって実に興味深い。仮に日本の伝統文化について議論するとして、その伝統がどの時期を指しているかでだいぶ意味合いも変わってくるように思う。

歴史は繰り返すと言われれば確かにその通りだと私も感じる。旧態依然とした因習を打破しようとする勢力は絶えず現れてきたし、権謀術数をめぐらす有力者たちの争いも古代から権力の中枢で繰り返し起こってきた。信頼できる歴史家の著した書籍を読むと、古代日本の政治的指導層が中国大陸や朝鮮半島の政治変動に大きな影響を受けて組織改革をしていたことが推察できる。推古朝が始まる少し前に隋が中国を統一し、その後高句麗遠征を開始したことに危機意識を抱いた厩戸皇子が制度改革(「冠位十二階」と「十七条憲法」)を主導したとされるのがその代表的な例だ。

日本の歴史を調べる上で日本国内だけに囚われず、東アジア全体の歴史を俯瞰しながら日本史の変遷を追っていく視点は重要だと思われる。

そのような巨視的な視点を自分なりに応用して考えると、人類の自然観は宗教的信仰を土台にしたものから科学的事実の集積を土台にしたものに「進歩」したことは人類史において重大な達成であると認識したうえで、信仰に根差した世界観にも実際には構造があるという事実に対しても同じ様にその重要性を意識することによって単純化された進歩史観には陥らなくなると私は思っている。