母ロス

弟に、「いつまでもメソメソしてんじゃねえ、いい歳して」と怒られて、それが正しいのだろうけど、孤独感というか“独りぼっち感”がマジでハンパない。遺影に手を合わせるでも、線香をあげるでもないのだが。

断捨離で、昔の写真を見ながら片付けていたら、自然と涙目になってきて途中で止めた。ボケッとして気付けば時間が経ってる。

時折、最期の、俺の顔を見て泣いた母様の顔を思い出して、胸が詰まりそうになる。60近いジジイが情けないとは思うけど。

口を動かして何か言おうとしたが、俺に何を伝えたかったのか。

前の妻と離れた時も、親父を亡くした時も、全然平気だったのに。

役所他に行って、様々な手続きをするのも、独りで日常を送るのもシンドイくらい。

コレが息子が母を亡くした時の喪失感“母ロス”なのか。

半身麻痺の不様な障害者となって帰り、親に迷惑をかけて、熊本地震の後、介護が始まり、負の感情を最大限に募らせて、下の処理をやって、それをキッカケに、イヤというほど自分の生きてきた跡を振り返ることにもなって、後悔と絶望、反省で潰れるような感覚にも陥り、全く希望が持てない、ヤバい希死念慮が頭をもたげたり…。

特別に、母様のことが大好きだったということは決してないのに。ただ要介護5で動けなくなってから、同情というか哀れみ、慈しみ、情愛の感情は溢れてきたけど。

…このヤバい状況を乗り越えるには、死んだという事実を受けて、やはり、泣ける時は自然に泣くに任せて、時間が経つのを待って、やれることはやって、あとは人に会うことだろうか。

確かに、フィリピンとのvideoチャットはとても気が晴れたが、元に戻ってしまった。

書くと気が晴れる。本でも読むか、映画を観るか。

ダウン症の障害者らが運営してるカフェのランチ。↓
丁寧で美味しくて癒される。


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。