「魯迅の言葉」
「阿Q正伝」や「狂人日記」などで知られる中国の小説家、魯迅(ロジン)の言葉を集めたもの。
彼は、今の東北大学医学部への最初の中国人留学生(しかし退学)だったんだね。
「世界はこんなにも広く、しかもまた、こんなにも狭い。貧しい人々はこんなにも愛し合いながら、しかもまた、愛し合えずにいる。晩年はこんなにも孤独でありながら、しかもまた、孤独に安んじられない」。
やはり、当時の不安定な国情の中で、現状分析とこれからを模索するような言葉が多いね。
「もとの河筋に戻ることはなく、必ずや移りゆく。現状が維持されることもなく、必ずや移りゆく。百利あって一害なしということもなく、ただ利と害の大小が測れるだけだ」
「改革者たちは、やたらと改革を語りたがるが、真の改革が身に及ぶと、きっと怖気づくに違いない」
「破壊なくして建設なし、とはおおむねそうだろう。だが、ぶち壊したからといって、必ず新しく建設されるとは限らない」
「人々は忘れることができるから、受けた苦しみから次第に逃れられ、またそれゆえに、あいも変わらず先人の過ちを型どおりに繰り返すのです」
「急いては言葉を選ばない、ことの病原は、考える暇がないからではなく、暇があっても考えないことにある」
「死者がもし、活きた者の心に埋葬されなかったなら、そのときこそ真に死に絶えたのだ」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
相手国に対する、コストもかからない最も強力な武器は、民間による文化・経済交流であるに決まってる。
相手国に自国を好きになってもらい、コッチも相手国を好きになる。そして、盛んに交流するのだ。
ところが、大抵の大衆は、権力者の思惑通りに、ほんの小さな事案で、相手国に憎しみを募らせて、武装を後押しし、そのうち、やっちまえってことになる。
現実はそうじゃない、合わない、無理だと言い訳しながら。
そういうことで、つまり、そうした大衆がいる限り、まず戦争がなくなるわけがないのである。
どんなに悲惨な経験をしようとも、必ず大衆は繰り返してしまう。
てか、もともと人類は殺し合いをすることで生き延びて来たわけなのだが。
脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。