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鯛生金山

先日、俺様の生誕地、日田市豆田に行った際に通りがかった金山地。大分県中津江村にある“鯛生(タイオ)金山”で、気になって行って来た。

菊池市から竜門ダムを抜けて、ひたすら県道の山道を走る。めっちゃ狭いし、落ち葉だらけだし、対向車なんかないけど、万が一、ハンドル操作を誤って、こんなところで事故ったら、マジでシャレになんないよーとビビりながらも、しっかりとハンドルスピナーを持って上って行ったら、集落や滝、名水スポットを通って、約1時間ほどで到着。ホッ。俺はやっぱり山より海がエエなあ。

またまた誰もいなくて閑散としてたけど、障害者割引の入場料を払うと坑内へ。

鯛生金山は、明治から発掘が始まり、1972年に閉山。

偶然ココを通った行商人が白い小石を拾って技師に見せたことが始まりっていうけど、ホントかなぁ(笑)。炭鉱もそうだったが、始まりはドラマチックに語られるよね。

約1キロくらいの長いクネクネしたトンネル内に、イケメンのマネキン(全部 笑)で発掘の様子が再現・展示してある。

声が出て動くものもあって、俺独りだし、暗いし、ちょっとしたお化け屋敷のようで面白かった。

最後の方に坑内イルミネーションが施されてて、俺には合わないオサレ〜な感じ。

あちこちに地下水が湧き出てて、マイナスイオンもいっぱいらしい。

深さ510メートルもある地下17階の竪坑というから、福岡県にまで渡って掘りまくったのだなぁ、人間の仕事ってスゴいね。

大正時代に本格的な発掘の権利を持ったのが英国人で、当時としては近代的な設備が導入されたという。で、金目当ての外国人がいっぱい来て“東洋の黄金郷”として国際的な賑わいを見せてたのだって。

事務所、病院、学校、文化施設、配給所はもとより、旅館、飲食店、倶楽部、映画館まであったらしい。へー(@_@)。今じゃ見る影もない、山深い、見渡しても森しかない、人も滅多に来ない辺鄙なクソ田舎だけどね。あっ、サッカーのワールドカップ日韓共同開催の時に、カメルーンのキャンプ地だっただって。

戦争でだんだんと掘られなくなったけど、地下にはまだまだ金鉱脈が残されてるらしい。隠れて掘りに来る奴はいないのか?

従業員数約3000人で産出量年間2・3トンだからスゴかったのだなぁ。

多分、当時のブルジョア帝国資本で労働者はこき使われてた面があると思うけど、展示はないけど、隅っこに隠れるように事故犠牲者の慰霊碑があった。

道の駅とレストランが併設されてて、100円野菜を買って、金入り昆布茶を飲んで、ボルシチランチを食べてきた。

写真は次に。

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脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。